二八の男(お題:蕎麦と饂飩)【守】
――私は十割になれぬまま
八割の嘘と二割の涙を啜り続けた。
帰宅すると部屋中に白塵が舞っていた。
1LDKの居間から鈍い音が響いてくる。
バン。バン。ドスン。
女が蕎麦を打っていた。
居間のテーブルの上で打っていた。
冷蔵庫の傍らには長い麺棒が立てかけられ
床には大きなこね鉢が転がっている。
女は生地を両手に抱え
押し込み、捻り、巻き込み
一心不乱にテーブルに叩きつけている。
本気である。
「なにやってんの?」
「菊練り」
女は振り返りもせずに短くそう答えた。
「なにそれ?」
「邪魔しないで。今、粉の人格を
ひとつに統合してるところなの」
意味が分からないので
戸口に突っ立ったまま
手持ちの携帯で調べてみた。
なんでも菊練りとは、蕎麦生地を纏めながら
菊の花のような模様を作る練り方らしい。
「うちを葬式会場にするつもりかい」
「見た目が花びらになるまで辞められないの」
すでに女の頭の中がお花畑だ。
と言いたかったが、女の傍らには
包丁があったので言い出せなかった。
「その、なんで蕎麦を
打ってらっしゃるんですか」
「私は十割で生きていたいの」
「どういう意味ですか」
「あなたは二八蕎麦なのよ。
いくら広告代理店だからって
建前ばっかり」
「えーと
僕の本音と建前の比率が二対八だと。
信用できない二割に苛々してらっしゃると」
「いいえ、八割よ」
ドバン。という音がして粉塊が潰れた。
テーブルにひしゃげて広がった
それが自分のように感じた。
「今何時だと思ってるの」
「あ、それは飲み会が長引いて」
「楽しかった?」
「いや、ずっと部長の武勇伝を聞いてた」
「あなたの武勇伝は?」
「へ?」
「交際記念日にホテルで何してたの?」
血の気が一気に引いた。
交際記念日。全く覚えてなかった。
むしろよく覚えていたものだと
女をいじらしく思った。
同時に良心の呵責が
大蛇のように心臓を締め付けてくる。
そう、今はそれどころではない。
一瞬でも気を抜いたら
意識が涅槃の彼方に遁走してしまいそうだ。
なんだか息をするのも億劫になってきた。
破裂音のような
蕎麦打ちの音が一際大きく室内に響いた。
瞬時に魂がグラグラの現実に
引き戻されて苦しく三転倒立した。
「私は十割で怒っている。
あなたの八割の嘘で凌げる?」
喉がカラカラで言い返せない。
虚脱した体に僅かに残っている
ワンナイトの熱が
下半身から這うように昇ってきて
その首を更に締め上げる。
「黙ってないで何か言ったら?」
そうだ。
今、沈黙は金ではない。むしろ鉛だ。
このままでは船ごと沈んでしまう。
何か言わなければ。
その一心で丹田に精神を集中させた。
そして無念無想の境地から
搾り出た言葉ひとつ。
「その、GPS?」
気付けば私は信州にいた。
何故かはわからない。
都を追われた
木曽義仲の霊に導かれたのだろうか。
女の去った自宅は惨憺たる有様だった。
蕎麦粉が静電気で
現代アートのように壁に付着し
排水溝はドロドロに詰まり
エアコンのフィルターは滅却。
パソコンは死亡してただの箱となった。
粉雪状態の床を見て
私はレミオロメンを絶唱した。
夜中の1時であった。
ドアを激しく叩く者がある。
トライバル柄の刺青。タンクトップ。
角刈りマッチョ。右フック。
私の意識はそこで途絶えている。
目が覚めて朝。
ふらつく足取りで表に出ると
世間が当たり前の顔をして歩いている。
私は当たり前ではいられない。
タクシーがビュンビュン通り過ぎていく。
勿体ない気がしたから一つ拾った。
「長野県まで」12万円。クレジット。
Xのタイムラインをスライド。
「当日50万円!
審査不安でも本当に借りれた!」
なんだ。余裕じゃん。
しかし私は何故、信州にいるのか。
私に聞いてみよう。
私は私の中を訪ねてみた。
すると、鬼のような形相で
蕎麦を打っている私がいたので
私はその怒れる私にインタビューしてみた。
「本当の蕎麦を食べるためだよ。
あの女、大体なんだあれは。
あんな、打ち台も拵えずに横着しやがって。
どうせあのテーブルだって
消毒も拭きもせずに
打ってたに違いないんだ。
そんな黴臭いもんが蕎麦って言えるかい?
てやんでい。言えるかっての。
何が十割だ。ブドウ球菌女が。
だからなあ
俺はホントの十割を探しにきたんだよ。
ホントの十割を摂取して
ホントの十割になるんだよ。
八割虚言野郎だと?
営業の苦労も知らん大学女め。
これは反撃だよ、なあお前。
本物の蕎麦食ったら
俺らまだ負けじゃねえんだ」
言いながら、憤怒に駆られた私は
そのまま蕎麦の中に
吸い込まれて消えていった。
真っ赤な蕎麦生地が
打ち台の上にポツネンと残った。
その赤色を見て
私の心の中に情熱の火が僅かに灯った。
そうだ。
私は蕎麦を食うためにここに来たのだ。
そして本当の蕎麦と出会った先に
細長くともコシのある道が
開けているに違いない。
🍎アカリ🍎
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