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Blog@arabian蒼ざめた正義・下アガサ・クリスティよろしく そして誰もいなくなった。 立ち去った影たちは今、私の眼下の校庭に 青春の塊をボールに託して お互いにぶつけ合いながら遊んでいる。 私は一人、取り残された隠遁者のように 達観した風情でそれを見守っていた。 仕方がない。私は病に窮している身なのだ。 早退という利を得て、皆と同じ徳を齧る 権利などあるはずもない。 どうせいづれ母上が迎えに来るのだ。 安心して待つが上策だ。 そんなことを思っていると 本当に心から安堵が湧いてきて その浄化が全身隈なく行き渡り ついにはすっかり腹痛も消えてしまった。 そうなると そこは一端の子供のことである。 待ってる暇すら、青春が惜しくなる。 私は復活した我が肉体に即座に胡坐を掻いて 元気に立ち上がると 椅子をある一定の等間隔に並べ始めた。 ひとり椅子飛び越えゲームである。 授業を免れた高等遊民にのみ 教室を占領して許される 禁じられた遊びである。 私は跳んだ。無我夢中で跳躍した。 ターミネーター2の恥辱を 泡沫に発散せんが如く 空っぽの教室の中に 我が世の春を欲しいまま顕していた。 そして私は段々と忘我の境地に入っていた。 ガラガラと 先生が扉を開ける音にすら気づかない程に。 いつの間にか背後に 気配を消して立っていた先生は 無言であった。 しかしその表情は、失望と落胆の混じった 呆れの情を雄弁に物語っていた。 「こいつ、めっちゃ元気やん…。」 口を開かずとも、小さく、はっきりと そう聞こえた気がした。 咄嗟に、実際には何も聞かれていないのに 急拵えの言い訳が私の口をついて出た。 「いや、今、少しだけ ちょっと良くなっただけ、です。」 先生は尚も言葉を紡がなかった。 閑としたこの教室の 重力だけが一気に加速し いつかの滝行の如く 私を圧し潰そうかと襲い掛かった。 滝行と学生時代で時系列が前後しているが この際そんなことはどうでもいいのである。 つまりは、私は斯様にして 度々双肩を打擲される 運命にあるということなのであろう。 途端に、また腹痛が襲ってきた。 先生の冷たい視線が、お腹を冷やす。 更には、胃心肺肝が 健やかを逆しまに転がってゆく。 私はまたもや顔色を蒼白く整え直した。 果たして一日に何回 お色直しを催せば気が済むのかと 自分でも多少剣呑になってきた。 もし、こんな結婚式があったなら 参列者は痺れを切らして 残らず帰宅しているだろう。 先生はというと、ひっきりなしに 色をコロコロと変えてゆく生徒を目の前に 意を悟ったのか、少しく悄然とした態度で 嘆息気味にやっと口を開いた。 「お母様が靴箱までお見えになってるから。 一緒にいくぞ。」 私は、先生に全てを見透かされた 気恥ずかしい生娘のような様子で その言葉に倣った。 とはいえ、万病が口火を切って この身に降りかかったかのような 足取りを演じることだけは忘れなかった。 愚かな子供の賢しき大人に対する 最期の意地である。 しかし一応断っておくが 靴箱までの容体が本当に良くなかったのは 嘘ではない。 故にこの足取りにも私に一部の利がある。 それが唯一残った柱であった。 かろうじて柱に背を預けながら やっとのことで母上と対面した。 すると、一瞬にして身体に力が漲った。 私はやっと 無益な大人との駆け引きから 解放されたのだ。 そうなるとやはり 私の身体は精神に対して実に正直者である。 帰宅してから早々にテレビゲームを付けると 母上に悟られぬように ステージ攻略に励んだ。 最後にターミネーターの シュワちゃんそっくりなボスが出てきて コテンパンに打ちのめされた記憶を 今でもよく覚えている。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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Blog@arabian滝の罰――誰も裁いてくれないから、 自分で殴られに行ったのだ。 難しいことはよくわからないが とにかく私は己の愚かに対し 何らかの処置を取らねばならぬ。 そう思い立って 滝行にでかけたことがあった。 その時の私の仕出かした過ちと言えば 嗚呼、口にするのも恐ろしい。 正月の実家にて母の手料理にケチをつける。 猫の砂を変えない。 親しい友人からの四季折々の挨拶を 既読スルーし続ける。 等々、枚挙に暇がない。 その他にも色々と この頃の自分は、何か手を打たねば 人としての向上心を全うすること 叶わぬであろうという煩悶の時期であった。 さて己に何を施したものか 策を練るも悉く行き詰まり 「ええい!煩わしいことは抜きだ! とりあえず滝行だ!」 思い立ったらすぐ行動。 人間、躊躇えば発酵する。 果ては粘着いた納豆の如き糸に引っ張られ いつの間にやら蜘蛛の巣状に絡めとられ 身動きが取れなくなってしまうであろう。 さにあれば 善も悪も仏も鬼も急ぐに越したことはない。 とにかく出発だ。 電車からバスを乗り継ぎ、東京山奥の寺へ。 拙速に調べたものだから、 果たしてこのお寺の宗派が なんであるかわからぬ。 ともすれば我が家の宗派が なんであったかもよくよく思い出せぬ。 だが、そんなことは問題ではない。 私は滝に打たれに来たのだ。 念仏を唱えに来たわけでも、 坊主の禿頭を拝みに来たわけでもなし。 賽銭箱に身銭を切るなどは以ての外である。 賑やかな色彩の御簾に目を瞬かせながら、 それを潜って境内へ入ると、 田舎の小学校一クラス分 くらいの人数があった。 ざっと二十人を超える程度の 顔ぶれのそれぞれに、 厳かなる面、迷える面 などが様々見て取れた。 「自分に限らず、やはり浮世というものは 一筋縄ではいかぬものなのだな」 安直な同情にどこか安心を感じた私は しかし、その中に実は 何度もリピートしている 「ご存じ顔」の猛者が点在し 幅を利かせているのに気付いた。 「どこへ行ってもヒエラルキーの構造からは 逃げられないものだな」 一転して、なんだか変に 厭世的な気分になった私は 少し辟易しながら煩悶を拗らせ、 始まる前から心中右往左往し 忙しくしていた。 そのうち住職がいらして、 密教の説明らしきものを一通り語り始めた。 不思議なことに、私の頭には その時聞き齧った教養がまるで抜けている。 さては余程、 この後に待ち構えている修行に対して 先に真剣になり過ぎていたのであろう。 又は住職のお話が 余りにお達者であったものだから、 つい微睡んでしまったか。 巧い落語はどうしても聞き心地が良くって 眠たくなってしまうと聞く。 であれば、人を眠らせてこそ 一流の説法者と言えるだろう。 ドラクエにて僧侶がラリホーを 覚えることにも合点がいくというもの。 そこへ行くと小中高の校長先生の 手腕たるや恐ろしい。 彼らは大司教。大僧正。 果ては仏陀・耶蘇の 生まれ変わりやも知れぬ。 なればこそ、毎回微睡んでいた私を 罰しようなどと考えてはいけない。 眠りこそ、完全なる殉教の精神なのだから。 さて、丁度いいお昼寝を終えて、 改めて目の覚める想いで、 いざ滝の鎮座する山道へ。 大荷物を抱えた住職が先頭に立ち、 ずんずん進んで行く。 険しい山道…まるで獣道である。 人間道に至る前にまず畜生道を越えよ、 というところであろうか。 しかし、そんな凸凹道をものともせず、 和尚は事も無げに飛び回るが如き 軽やかな歩みを止めない。 「さてはこやつ、 坊主に化けた烏天狗じゃないかしら」 私は天狗に化かされ山奥に引き込まれ、 そのまま野に朽ち果てる 我が身を想像して震えた。 そんな八つ当たりにも似た妄想を 巡らせているうちに滝が見えてきた。 嗚呼、良かった。 間一髪、修羅道を避けて人間道に至る。 住職の持ってきたテントで1人づつ、 滝行用の衣装に着替えた。 テントの中には、白装束が1つ。 暗き中にぼんやりとした光を放ち 浮かびあがるそれは、 浮世に黒ずんだ汝が生を漂白して白く染めよ と命じているようであった。 我が世もこれまでか。 私は一瞬にして太閤秀吉に呼び出された 伊達政宗に同調した。 嗚呼、死とは是の如く真っ白なのだな。 気持ち顔面も白くなって出てきた私に ちょうど、滝行の順番が回ってきていた。 いよいよだ。 私が拵えた罪が激流となって 我が双肩に罰の打擲を加える時が来た。 果たしてこれで浮世の汚泥を 洗い流すことが叶うか。 それとも打擲に没するか。 せっかくならミレーの描いた オフィーリアの如き芸術味を帯びた どざえもんになりたい。 などと夢想しながら、私は歩一歩、 滝つぼの中へ身を沈めていった。 腰辺りまで水に浸かったところで、 滝の隣に並ぶ形となった。 水龍は一切の加減を憚ることなく、 奔放にその身を水面へ叩き付け、 そこから眩い白竜に生まれ変わって 一帯を脅かしている。 思っていたのと違う。 もっとこう、 例えばジェットコースターには 安全バーがあるべきだ。 しかし、この滝壺の有様ときたら、 アームバーだけで急降下も一回転も 耐えろと言わんばかりだ。 曲がりなりにも仏に帰依する 龍なるに関わらず、 まるで慈悲の心が欠けている。 菩薩の意向も滝壺までは及ばぬようだ。 さりとて、 如何に見切り発車から出た錆とはいえ、 この洗礼を所望したのは己なれば、 ここへ来て往来を 逆しまにする訳には行かぬ。 「ええい儘よ!」 私は思い切って怒涛の中に身を投じた。 途端、恐ろしい鉄槌が親の仇の如く 天から襲いかかる。 目が、開けれぬ。鼻に、水が詰まる。 ああ、そうだ。 そういえばさっき話の長い坊主が 「南無ほにゃらら」 を唱えろと言っていた気がする。 ほにゃららの部分は微睡んで覚えていないが きっとあの経文さえ唱えれば この身に神通力が宿り 水属性への耐性が上がるという 仕様に違いない。 そうでなければクソゲーだ。 負けイベントかと思ったら 普通にゲームオーバーでタイトル画面な コントローラー投擲案件だ。 どころかリセットボタンのない 現実において、 このまま水の精霊の加護的な バフが叶わねば 本当にオフィーリアになってしまう。 藁にも縋る思いで私は 「南無ほにゃらら!」と大声で唱えた。 瞬間、大量の水が口内に雪崩れ込み 喉を蹂躙しながら気道を塞ぎにかかる。 「ごぼぼッ!ごぼぼぼッ...!」 あの生臭坊主!謀ったな! 何が経文を唱えろだ! 水中で息ができるわけがないじゃないか! 会釈もなく勢いを増して背中を貫く稲妻に 私の頭の位置は徐々に低く低くなって行き 海神に侵略さるる魂は 黄泉比良坂を越え ついに冥府魔道へ堕ちようかという その刹那 「はい、お疲れ様でした〜」 安全バーを上げて退場を促す キャストのような気安さで 近くにいた見習いの僧に引き上げられ 私は全身むち打ちの体で暫く 沖に打ち上げられた新巻鮭の如く 岩場でぐったりしていた。 人は、何のために生を受け 私は、何を為し終えて 死ぬるというのだろう。 あの滝は、何のために 人を打擲するのであろう。 私は、一体何のために こんな目に会っているのだろう。 私は横たわって愚にもつかない 禅問答を繰り返した。 しかし、しばらくして私の手足に力が戻り 立ち上がるに至った時 インスタントな悟りが開けた。 「生きている」 「あんなにも恐るべき死という概念に 目鼻の先で挨拶を交わしておきながら 私は助かった」 全ての煩悶が吹き飛んだ。 人は生死の実感を日常の 当たり前において忘れている。 なればこそ、これに向き合った時 真面目というものを思い出すのではないか。 そうに違いない。 私の五体が今、それを実感し証明している。 「良い経験をなさったでしょう」 帰り際に声を掛けてくれた住職の顔には 後光が差して見えた。 今振り返ってみれば、 単に禿頭に反射した夕日が 眼を照らしただけに思える。 さりとて、あの時それが 後光に見えたことは確かなのだ。 ならば人生に光を差し向けることなど 簡単ではないか。 勘違いだっていい。 一生懸命に生きることだ。 さにあれば、そのうち素敵な勘違いが 大仰な光で我が世を 照らしてくれるに違いない。 いくら戦争映画を観ても得られぬ 魂の渇望がそこにあった。 この経験は生涯、忘れまい。 帰宅した私は、タイの涅槃仏の姿勢で Netflixのプライベートライアンを観ながら 早々に先刻の悟りを涅槃に返していた。 片手に持ったぷっちょの 跳ねっ返りな歯応えに人生を感じていた。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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