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Blog@arabianおかえり、ぴー――どせいさんの中にだけ 自分の形がぴったりはまる気がした。 家に帰ると、どせいさんが迎えてくれる。 玄関の影がまだ 脱ぎ捨てた靴に引っかかっている頃には もう、彼はそこにいる。 どせいさん、というのは、あの、あれだ。 スーパーファミコンの 「MOTHER2」に出てくる、不思議なやつ。 なんていうか、宇宙人?いや、土の精? よくわからないけど とにかく輪郭が曖昧で でも確実に“そこにいる”タイプの存在。 あまりにも強烈な ゲップーとかいう名前のボスに 奴隷みたいにされてるけど なぜかぽえ~んとしてて あんまり気にしてない風で。 それを見たときから、もうダメだった。 完全に落ちた。 まるっとした身体 磯野家の家長を連想させる一本毛 必要かどうか分からないくらい ひょろりとした手足。 お茶の水博士とケンカできそうな立派な鼻。 左右にぴょこっと伸びる触覚めいた猫ひげ。 意思の強さと弱さが 両立してしまったような、あの瞳。 意味があるのかないのか分からないリボン。 いや、あれはあるな。あってほしいな。 落書きみたいな外見。 生物というより図形。 でも、なんだろう 情報量だけはすごくある。 可愛いっていうより、信頼できるって感じ。 初対面なのに もう何年も知ってる人みたいな。 レントゲンを撮ったら たぶん脳みそでいっぱいなんだと思う。 骨すらないかもしれない。 どせいさんは、喋る。 「~ほー」「ぴー」「~なのら」って たどたどしくて、でも伝わる。 崩れた文法に、なんか奥行きがある。 無邪気と知性が喧嘩せずに同居してる言葉。 句読点のかわりに空白があって ひらがなが泳いでて、そこに“詩”がある。 私はそこに 叡智のかけらみたいなものを見てしまう。 人間がこぼした言葉の隙間を 拾って再構成してる感じ。 異星の文法に、 なぜか郷愁を感じるのって、不思議だ。 彼らの村も好きだ。 干渉しない。けれど拒絶もしない。 なにも求めず、なにも押しつけず ただそこに存在することの強さ。 人間が、いちばん持ってないやつ。 そして音。 あの「ぺちょぺちょぺちょ」っていう表示音。 あれだけで、喋る速さとか ちょっと詰まり気味の発音とか 感情のざらつきまで浮かんでくる。 声優がついてないっていうのが 逆にありがたかった。 脳内補完という名の共同作業で 私は理想の声を勝手に作って それに勝手に惚れた。 で、最近、貰ったんです。 どせいさん。フィギュア。 小さくて、やたら精度が高くて 存在感があって、でも音は出ない。 暗い部屋で電気もつけずに帰宅して 鍵を置く前に目が合う。 「おかえり なのら。 おうち しずかに まってた ほい。」 言ってる、気がした。 それで私も、条件反射みたいに返すのね。 「ただいま ぴー。 きょうは たくさん たいへん だったのかも しれないほー。 でも かえってきたから だいじょうぶ なのほ。」 頭で考えてない。勝手に口が動いてる。 誰にも聞かれてないのに、会話してるの。 私、たぶんもうだいぶ重症だ。 最近、外でも どせいさん語が出てしまいそうで ちょっと怖い。 「ぴー」とか口に出してしまったら 社会的に終わる気がする。 でも、出ちゃうかもしれない。 愛が濃いから。 淋しい部屋には、たぶん何かが必要だった。 テレビでも音楽でもなくて あの、一本毛とリボンと 丸い体が必要だった。 「異質・無垢・知恵・孤独・愛嬌・信頼」 …崩れそうで崩れない絶妙なバランス。 私の孤独が、きちんと置いておける場所。 完全に沼。どせいさん沼。 あったら移住するよ、サターンバレー。 何の迷いもなく。 そして今 私はどせいさんの持ち歩きを画策している。 いつか、そのまま忘れて外に出てしまって 「ぴー」と言いながらポケットを探す未来が ちょっとだけ怖い。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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Blog@arabianケラウノス・ピリ――外国人の横顔ばかり見てたら 自分が透明になるスピードが 上がった気がした。 ふらっと、という言葉を 人生に使う人間でいたいと思っていた。 だから私はその日、ふらっと浅草に行った。 ほんとうに唐突で 何かに呼ばれたとか 何かを思い出したとか そういうエモい言い訳すらなかった。 ただ、なんか、雷門が見たい。 それだけだった。 雷門は、門というより 都市のまつげみたいだった。 境界のギリギリで、ぎゅっと目を閉じて 人々の往来をまぶたの裏に 溜めているような、そういうかたち。 昔はこんなに、目を開けてたっけ。 今の雷門は、光を受けすぎて ちょっと疲れて見えた。 そこには人がいた。すごくたくさん。 びっくりするくらい 外国の人ばかりだった。 おでこがきれいに光る人 サングラスがやたら似合う人 ずっと写真撮ってる人。 まるで、世界中の言語がすべて 一時的に漢字の下に 避難してきているようだった。 ああ、もうこれは「雷門」じゃない。 サンダーゲートだ。 漢字の音読みで呼ぶには ちょっと胸の奥がくすぐったい。 だけど、サンダーゲートって言うと なんかB級SF映画の舞台”っぽくなって それもまた、悪くないなと思った。 吉原も、いまや観光客で賑わってるらしい。 異国の人が かつての艶やかさを追いかけて歩く姿は ちょっと夢の中みたいだ。 そこだけ色調が違う映像を 私だけが再生しているような 静かな孤独がある。 過去の匂いが、現代の風に混ざるとき 時代はくしゃみをする。 くしゃみの瞬間にだけ 私たちは「いま」を自覚する。 それにしても インバウンドって筋肉質だな、と思った。 全身で“今ここにいる!” って宣言してる感じ。 気圧の変化で耳が詰まるように 急激な変化が鼓膜を揺らす。 私はといえば その波にまったく乗れていなかった。 波の音を聞きながら なんとなく川崎のことを思い出した。 川崎には、そういう派手さがない。 川崎大師に行ったときなんか 日本人すらほとんどいなかった。 広い境内に、ゆっくりした風が吹いていて 音が少なくて、屋根が重くて まるで、誰かの夢のなかに 紛れ込んだみたいな静けさがあった。 あそこには、人がいないんじゃない。 「必要以上に居ない」という、安心がある。 混雑しないことが 都市の誠実さになる瞬間があるなんて 思ってもみなかった。 「川崎で有名になるには 人を殺すか、ラッパーになるか」 誰かがそう言ってたのを思い出す。 言葉はちょっと物騒だけど なんか分かる気がする。 私はラッパーにはなれなかったけど それでも昔、一度くらいは ビートに身を預けようとしたことがある。 音が先に走って 自分があとから追いかける感覚。 そのズレに、何度もつまづきながら リズムに馴染もうとした。 でも、川崎は泳げた。ビート板がなくても。 不器用な背泳ぎでも、溺れそうな横泳ぎでも なんとなく、ちゃんと前に進んでいた。 川崎の水は、急がない。 変わらないことを 変わらないままでいてくれる 土地のやさしさを 私はそのとき、初めてちゃんと 味わっていたのかもしれない。 浅草を歩いていたはずなのに 気づいたら私は心のなかで 川崎の地面に座っていた。 こういう瞬間があるから、東京は面白い。 心だけが先に別の場所へ向かう ちょっとしたズレを拾いながら 私はまた、雷門の裏側をゆっくり歩いた。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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