アロハの余光
――私はいまだハワイを知らない。
でも、ハワイの匂いを確かに感じた。
前職は音響だった。
音を操るなどというと幾分格好がいいけど
実際のところは
ろささ舞台袖で静かに汗をかきながら
ケーブルを這わせ
マイクのフェーダーを上げ下げすることで
明日を食いつなぐだけの日々。
私はその日も、ある舞台裏にいた。
フラダンスの発表会という
なんとなく牧歌的で
どこか胡蝶の夢のような現場。
裏からみるそれは
なかなか乙な味わいだった。
踊り手たちの顔は皆
なぜか光を帯びて見えた。
舞台照明のせいではない。
いや、照明がなくても
彼らの顔は輝いていたに違いない。
趣味という名の無添加アンチエイジング。
化粧品など一切及ばぬ、心の底から燃え立つ
小さな炎が頬を照らしていたのだ。
彼らは、確かに舞台の上にいた。
だがその目は
舞台だけを見てはいなかった。
この会場には収まらぬ心
その奔放さが
踊りの動きの端々から洩れていた。
まるで解き放たれた動物のように
あるいは海風に身をまかせる
木の葉のように舞っていた。
その背後に大自然が見えた。
ハワイの浜辺か、南国の森か
微睡むような幻。
ドレスの裾がひらりと翻るたび
椰子の葉の影が揺れて見えた。
フラダンスであるはずなのに
どこかレゲエの残り香がある。
自然と一体化し、いっそ
髪すら手放したいという欲望にかられて
ドレッドロックスにしてしまう勢いだ。
あれは最早、ヒッピーの聖域だ。
マイク・タイソンの
テグリディ・ファームさえ彷彿とさせる
自由と緩さと精神性の見本市。
「すいまん吸いません」
とでも言い出しそうな
徹底したゆるやかさ。
草原に帰ったパトラッシュのように
安らぎと共に発表会へと向かう
彼らの背中には
人生の歓びというものが滲み出ていた。
私はといえば
いそいそと裏方仕事に奔走し
舞台袖でケーブルの山に埋もれ
照明の熱気に汗ばみながら
ふと彼らの後光に
照らされたような気がしていたのだった。
舞台上の光が漏れて、ほんの少しだけ
私の実体が際立った気がした。
影に徹しようとしたのに
影にすらなりきれないこの哀しき裏方が
ついには光の余り物に焼かれて
ちょっとだけ人間になれたような錯覚。
飛び出したかった。
舞台袖から、すべてを捨てて
あの輪の中へ飛び込んでしまいたかった。
「裏がないから、おもてなし」
なんて言うけれど、裏がなければ
表に立つものも足場を失うのが道理。
私は、誰かの舞台に
貢献しているだけの存在だった。
だけど、それでも。
フラダンサーには
見る者を幸福にする引力がある。
あれはたぶん、惑星だ。
重力が違うのだ。
ああ、ハワイ。
私はハワイに行ったことがない。
タヒチも、グアムも
メキシコも、カラカスもない。
だけど、心だけは常にハワイアンでいたい。
心構えはいつもワイキキビーチ。
バギー乗り回し「アスタラビスタベイビー」
的なことを声高に叫ぶのだ。
そうでなきゃ
生きてる意味なんてないじゃないか。
私は裏で汗をかく。
けれど、いつか
スポットライトの余光くらいは
自分のものにしたいと思った。
ハワイに行けなくたって
人は心だけで旅ができる。
神様が皮肉屋なら
こちらも負けずに笑っていればいい。
🍎アカリ🍎
ꫛꫀꪝ✧‧˚X
公式LINE
✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp
ご予約詳細は🈁