川崎ソープランド アラビアンナイト アカリ ブログ 滝の罰

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滝の罰

2025.05.20 08:00

 


――誰も裁いてくれないから、

自分で殴られに行ったのだ。

 

難しいことはよくわからないが

とにかく私は己の愚かに対し

何らかの処置を取らねばならぬ。

そう思い立って

滝行にでかけたことがあった。

その時の私の仕出かした過ちと言えば

嗚呼、口にするのも恐ろしい。

正月の実家にて母の手料理にケチをつける。

猫の砂を変えない。

親しい友人からの四季折々の挨拶を

既読スルーし続ける。

等々、枚挙に暇がない。

その他にも色々と

この頃の自分は、何か手を打たねば

人としての向上心を全うすること

叶わぬであろうという煩悶の時期であった。

さて己に何を施したものか

策を練るも悉く行き詰まり

「ええい!煩わしいことは抜きだ!

とりあえず滝行だ!」

思い立ったらすぐ行動。

人間、躊躇えば発酵する。

果ては粘着いた納豆の如き糸に引っ張られ

いつの間にやら蜘蛛の巣状に絡めとられ

身動きが取れなくなってしまうであろう。

さにあれば

善も悪も仏も鬼も急ぐに越したことはない。

とにかく出発だ。

電車からバスを乗り継ぎ、東京山奥の寺へ。

拙速に調べたものだから、

果たしてこのお寺の宗派が

なんであるかわからぬ。

ともすれば我が家の宗派が

なんであったかもよくよく思い出せぬ。

だが、そんなことは問題ではない。

私は滝に打たれに来たのだ。

念仏を唱えに来たわけでも、

坊主の禿頭を拝みに来たわけでもなし。

賽銭箱に身銭を切るなどは以ての外である。

賑やかな色彩の御簾に目を瞬かせながら、

それを潜って境内へ入ると、

田舎の小学校一クラス分

くらいの人数があった。

ざっと二十人を超える程度の

顔ぶれのそれぞれに、

厳かなる面、迷える面

などが様々見て取れた。

「自分に限らず、やはり浮世というものは

一筋縄ではいかぬものなのだな」

安直な同情にどこか安心を感じた私は

しかし、その中に実は

何度もリピートしている

「ご存じ顔」の猛者が点在し

幅を利かせているのに気付いた。

「どこへ行ってもヒエラルキーの構造からは

逃げられないものだな」

一転して、なんだか変に

厭世的な気分になった私は

少し辟易しながら煩悶を拗らせ、

始まる前から心中右往左往し

忙しくしていた。

そのうち住職がいらして、

密教の説明らしきものを一通り語り始めた。

不思議なことに、私の頭には

その時聞き齧った教養がまるで抜けている。

さては余程、

この後に待ち構えている修行に対して

先に真剣になり過ぎていたのであろう。

又は住職のお話が

余りにお達者であったものだから、

つい微睡んでしまったか。

巧い落語はどうしても聞き心地が良くって

眠たくなってしまうと聞く。

であれば、人を眠らせてこそ

一流の説法者と言えるだろう。

ドラクエにて僧侶がラリホーを

覚えることにも合点がいくというもの。

そこへ行くと小中高の校長先生の

手腕たるや恐ろしい。

彼らは大司教。大僧正。

果ては仏陀・耶蘇の

生まれ変わりやも知れぬ。

なればこそ、毎回微睡んでいた私を

罰しようなどと考えてはいけない。

眠りこそ、完全なる殉教の精神なのだから。

さて、丁度いいお昼寝を終えて、

改めて目の覚める想いで、

いざ滝の鎮座する山道へ。

大荷物を抱えた住職が先頭に立ち、

ずんずん進んで行く。

険しい山道…まるで獣道である。

人間道に至る前にまず畜生道を越えよ、

というところであろうか。

しかし、そんな凸凹道をものともせず、

和尚は事も無げに飛び回るが如き

軽やかな歩みを止めない。

「さてはこやつ、

坊主に化けた烏天狗じゃないかしら」

私は天狗に化かされ山奥に引き込まれ、

そのまま野に朽ち果てる

我が身を想像して震えた。

そんな八つ当たりにも似た妄想を

巡らせているうちに滝が見えてきた。

嗚呼、良かった。

間一髪、修羅道を避けて人間道に至る。

住職の持ってきたテントで1人づつ、

滝行用の衣装に着替えた。

テントの中には、白装束が1つ。

暗き中にぼんやりとした光を放ち

浮かびあがるそれは、

浮世に黒ずんだ汝が生を漂白して白く染めよ

と命じているようであった。

我が世もこれまでか。

私は一瞬にして太閤秀吉に呼び出された

伊達政宗に同調した。

嗚呼、死とは是の如く真っ白なのだな。

気持ち顔面も白くなって出てきた私に

ちょうど、滝行の順番が回ってきていた。

いよいよだ。

私が拵えた罪が激流となって

我が双肩に罰の打擲を加える時が来た。

果たしてこれで浮世の汚泥を

洗い流すことが叶うか。

それとも打擲に没するか。

せっかくならミレーの描いた

オフィーリアの如き芸術味を帯びた

どざえもんになりたい。

などと夢想しながら、私は歩一歩、

滝つぼの中へ身を沈めていった。

腰辺りまで水に浸かったところで、

滝の隣に並ぶ形となった。

水龍は一切の加減を憚ることなく、

奔放にその身を水面へ叩き付け、

そこから眩い白竜に生まれ変わって

一帯を脅かしている。

思っていたのと違う。

もっとこう、

例えばジェットコースターには

安全バーがあるべきだ。

しかし、この滝壺の有様ときたら、

アームバーだけで急降下も一回転も

耐えろと言わんばかりだ。

曲がりなりにも仏に帰依する

龍なるに関わらず、

まるで慈悲の心が欠けている。

菩薩の意向も滝壺までは及ばぬようだ。

さりとて、

如何に見切り発車から出た錆とはいえ、

この洗礼を所望したのは己なれば、

ここへ来て往来を

逆しまにする訳には行かぬ。

「ええい儘よ!」

私は思い切って怒涛の中に身を投じた。

途端、恐ろしい鉄槌が親の仇の如く

天から襲いかかる。

目が、開けれぬ。鼻に、水が詰まる。

ああ、そうだ。

そういえばさっき話の長い坊主が

「南無ほにゃらら」

を唱えろと言っていた気がする。

ほにゃららの部分は微睡んで覚えていないが

きっとあの経文さえ唱えれば

この身に神通力が宿り

水属性への耐性が上がるという

仕様に違いない。

そうでなければクソゲーだ。

負けイベントかと思ったら

普通にゲームオーバーでタイトル画面な

コントローラー投擲案件だ。

どころかリセットボタンのない

現実において、

このまま水の精霊の加護的な

バフが叶わねば

本当にオフィーリアになってしまう。

藁にも縋る思いで私は

「南無ほにゃらら!」と大声で唱えた。

瞬間、大量の水が口内に雪崩れ込み

喉を蹂躙しながら気道を塞ぎにかかる。

「ごぼぼッ!ごぼぼぼッ...!」

あの生臭坊主!謀ったな!

何が経文を唱えろだ!

水中で息ができるわけがないじゃないか!

会釈もなく勢いを増して背中を貫く稲妻に

私の頭の位置は徐々に低く低くなって行き

海神に侵略さるる魂は

黄泉比良坂を越え

ついに冥府魔道へ堕ちようかという

その刹那

「はい、お疲れ様でした〜」

安全バーを上げて退場を促す

キャストのような気安さで

近くにいた見習いの僧に引き上げられ

私は全身むち打ちの体で暫く

沖に打ち上げられた新巻鮭の如く

岩場でぐったりしていた。

人は、何のために生を受け

私は、何を為し終えて

死ぬるというのだろう。

あの滝は、何のために

人を打擲するのであろう。

私は、一体何のために

こんな目に会っているのだろう。

私は横たわって愚にもつかない

禅問答を繰り返した。

しかし、しばらくして私の手足に力が戻り

立ち上がるに至った時

インスタントな悟りが開けた。

「生きている」

「あんなにも恐るべき死という概念に

目鼻の先で挨拶を交わしておきながら

私は助かった」

全ての煩悶が吹き飛んだ。

人は生死の実感を日常の

当たり前において忘れている。

なればこそ、これに向き合った時

真面目というものを思い出すのではないか。

そうに違いない。

私の五体が今、それを実感し証明している。

「良い経験をなさったでしょう」

帰り際に声を掛けてくれた住職の顔には

後光が差して見えた。

今振り返ってみれば、

単に禿頭に反射した夕日が

眼を照らしただけに思える。

さりとて、あの時それが

後光に見えたことは確かなのだ。

ならば人生に光を差し向けることなど

簡単ではないか。

勘違いだっていい。

一生懸命に生きることだ。

さにあれば、そのうち素敵な勘違いが

大仰な光で我が世を

照らしてくれるに違いない。

いくら戦争映画を観ても得られぬ

魂の渇望がそこにあった。

この経験は生涯、忘れまい。

帰宅した私は、タイの涅槃仏の姿勢で

Netflixのプライベートライアンを観ながら

早々に先刻の悟りを涅槃に返していた。

片手に持ったぷっちょの

跳ねっ返りな歯応えに人生を感じていた。

 

 

🍎アカリ🍎

 

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