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Blog@arabian脚立女――取りたいものより 届かないことのほうがよく見える。 我が家のハンガーラックには 上に物が置けるスペースがついている。 あれがくせ者なのだ。 最初はね、「収納力、爆誕!」とか思ってた。 期待はいつも 油を差しすぎた蝶番のように軽やかに開く。 だけど、あまりにも高すぎた。 手を伸ばしても届かない。 指先に気合いを込めても無理。 物件って、なんでこう …女の骨格事情を理解してないんだろう。 世の中に170㎝超えの女性が どれくらいいると思ってるの。 みんながみんな ミラ・ジョヴォヴィッチじゃないんだよ。 いやほんと、あの人すごい。 名前だけで強いもん。 濁音の嵐、濁音のドレスコード。 ジョヴォヴィッチ。 マルコヴィッチもウサヴィッチも 尻軽ヴィッチも足元にも及ばない。 …また関係ない方向に意識が逃げる。 脳がこうして雑念に走るのは 目の前の現実から逃れたい証拠だ。 私は目の前の高すぎる物置スペースと もう一度向き合う。 あれさ、最初からなければよかったのに。 「便利!」と思わせて 二度と手が届かない場所に 大事なものを納めさせるって もはや詐欺の手口。 ストリートファイター ちゃんと買ったのに。 波動拳、出す前に収納されたまま眠ってる。 道具に謝りたい。 「お前はまだ地上戦もできていない」と。 あそこは、物の墓場だ。 一度納めたら、ほぼ死蔵。 もうあれは納めじゃなくて 神棚に供える儀式に近い。 気づけば、カバン キックボクシングのグローブ、災害備蓄 水、ゲーム、全部お供え状態。 私が何かやろうとした痕跡ばかりが あの棚にある。 もう、棚というより霊廟。 もちろん、文明の利器・脚立はある。木脚。 地味に重いけど忠実で 黙って立っててくれる優しいやつ。 けどさ、深夜二時にふと思い立って ゲームを取りに行こうとしてさ 脚立担いで、がしゃんどんがらがっしゃん って…そんなホラー演出、誰が望んだの。 荷物の回収って そんなに命がけだったっけ? 阿部公房の『箱男』ってあるじゃない? あれ読んだとき、 「こういう異形、あるな」って思ったけど 今の私はもう、“脚立女”だよね。 生活に屈して形状が変わった哀しき実存。 それを想像しただけで ちょっと疲れて、 また今日も物置スペースを 見上げるだけで終わる。 私は、あの高みにある物たちに 話しかけるように視線を上げて あえて何も取らず、ただ黙って通り過ぎる。 それが、最近の夜のルーティンだ。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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Blog@arabian想像が負ける日――光があると、妄想はだいたい負ける。 だから私は夕方が苦手。 そのビルの前を通るたび ほんの少しだけ呼吸を止めてしまう。 臭い。 夏場に腐った肉の記憶みたいな臭いだ。 風に混ざると ふとした瞬間に鼻の奥を襲ってくる。 完全に鼻を塞げる構造の顔が欲しいと 何度も思った。 夜にそこを通るときは たいていブケファラス (愛馬のママチャリ)に跨っている。 その日も、私はブケファラスの ペダルを強く踏みしめていた。 まるで、何かから逃げるふりをすることに 夢中になっているようだ。 こんな私にブケファラスを駆る 資格があるだろうか? 卑しくも愛馬の名前を勝手に拝借した アレキサンドロス大王に顔向けできないぞ。 偉大なる先王に勝手に恐縮しながら 不徳の儀を懺悔つつも 私は戦慄する心を抑えきれなかった。 もし、あのビルの中に “肉切りブッチャー”みたいな 猟奇殺人鬼がいたとしたら。 もし、誰かの叫びが壁の奥で 凍りついていたとしたら。 そんな妄想が 想像力の裏路地で勝手に繁殖していく。 ある日の午後 私はそのビルの前でペダルを止めた。 陽が沈みかけているけれど まだ世界は明るかった。 冷めかけの光がビルの外壁に 斜めに落ちていて それが建物をほんのり淡い 灰色に染めていた。 少年がいた。 そのビルの壁に向かって 何かを投げていた。 石。 少年は全く無遠慮に次々と ビルの壁に向かって 投石を繰り返していたのだ。 「殺されちゃうぞ、君!」 眼前に展開する危うい蛮行に驚いた私は 内心でそう叫んだ。 声には出さなかった。出せなかった。 忍び寄る惨劇の気配に屈して 何の警鐘も鳴らせず ブケファラスに跨ったまま 私はその場に固まって少年を凝視した。 すると、彼は投げるのをやめた。 そして、私を見返した。 視線が交差したまま、ふたりとも動かない。 少年は手の中に石を携えたままだ。 しかし、よく見ると それはすこし光を含んでいた。 それは、透明な、冷たい塊…氷だった。 その氷を透かしてみる奥に 洗い場と冷蔵庫と、働く人の背中があった。 いつも閉まっている ビルのシャッターが開いていたのだ。 それは、ただの精肉作業だった。 なんのことはない。 そこにあったのは 取り留めもない日常だった。 なんだ。肉は、あった。 でも人間の、ではなかった。 包丁は、あった。 でもそれは業務用の 鉄の光を持っただけの道具だった。 そこには、加害者も被害者も、いなかった。 私は無意識のうちに シュレディンガーの猫箱の蓋に触れていた。 開けてみれば、何もいなかった。 猫の毛も、声も、血も ぜんぶ私の想像のなかにしかなかった。 その日から、私はもう ブケファラスを飛ばすことをやめた。 ビルの前ではスピードを落とし 風の抵抗に身を委ねた。 世界が戻ってしまった、という感覚が 少しだけ寂しかった。 日常のなかに非日常を 見出すことはできても それが非日常のまま 保たれることはあまりない。 私の目が、現実を暴き、世界はふたたび ふつうの顔をして立っていた。 まるで、色のない手が私の肩をとらえて 見慣れた通りに引き戻したような そういう引力のことを 私たちは「退屈」 と呼んでしまうのかもしれない。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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