🤴 裏島太郎
~前回のあらすじ~
メアリーは可愛い
フランス王妃になった
メアリー・スチュワート
と思いきや
夫のフランソワ二世が即位後
わずか2年、たったの16歳で病死ッ…!
これを皮切りにメアリーの人生に
不幸が連続で降り掛かり始めます
二人の間には子がなく
かわってフランソワ二世の弟シャルルが
10歳でシャルル9世として即位
夫を亡くし王妃の地位を失ったメアリー
ついでギーズ家の権勢も後退
ここで摂政となったのがメアリーの姑
カトリーヌ・ド・メディシス
嫁姑問題でカトリーヌにいびられ
限界がきたメアリー
故郷スコットランドに帰ることに
しかし、長い間パリの宮廷で
すごしてきたメアリーにとって
久方のスコットランドはド田舎の後進国
スコットランド女王という肩書も
失ったフランス王妃の位と比べれば
とても大した値うちが
あるように思えなかった
そのスコットランドでは
実は大変な騒ぎが起きていた
話は10数年前に遡る
LikeAサッカーのボール
メアリーのフランス渡航後
女王不在のスコットランドは
摂政アラン伯によって統治されていた
しかし、フランスの宮廷は
アラン伯よりもっとフランス寄りな
皇太后マリーを摂政に
擁立しようと企んだ
メアリー11歳の時
パリの高等法院は
アラン伯の摂政位を剥奪
翌年には皇太后マリーの
摂政就任が実現
イングランドでは狂信的カトリック女王
メアリー・テューダーが即位
国内のプロテスタントを処刑・追放
ブラッディ・メアリーしていた
カトリック皇太后マリー
ここであえての奇策
まさかのイングランドの
プロテスタント達を匿う
敵国を分裂させる良い材料になる、と
このプロテスタント融和政策によって
6年前、セント・アンドリュース城陥落
以来フランスに囚われていた
ジョン・ノックス等
プロテスタント指導者も
スコットランドに帰国
国内のプロテスタントは
急速にその数を増やし
スコットランド独自の
新教会の創設を提議するに至る
しかし、イングランドでカトリック王
メアリー・テューダーが亡くなり
その妹でプロテスタント寄りの
エリザベスが即位すると
スコットランドでは最早
プロテスタントを認める必要性が
なくなったため、皇太后マリーは
プロテスタントへの弾圧策を再開
ただプロテスタントの側も黙っていない
国内の修道院の扉に
カトリックを弾劾する怪文書
「乞食の呼び出し状」が貼り出され
続いて指導者ジョン・ノックス等の
扇動による宗教暴動が
中部スコットランドの全域に広まった
プロテスタント勢は
王国首都エディンバラに入城
指導者ジョン・ノックスは
首都の牧師に任命された
これにより各地のカトリック教会や
修道院は暴徒による
破壊と略奪にさらされた
ところが、このプロテスタント勢力
所詮は烏合の衆
皇太后マリー傘下のカトリック勢と
フランス軍とがプロテスタント勢を
バラバラに蹴散らし
エディンバラを取り戻す
マリー・ド・ギーズと
フランス軍のタッグ強過ぎるやろ!
プロテスタント勢
アラン伯を味方につけ再結集
フランス軍の拠点リースを攻撃するが失敗
逆襲のフランス軍
スターリングを占領
更にファイフ地方に進撃
少数精鋭のフランス軍の勢い凄まじく
例によって優柔不断なアラン伯も
プロテスタントを見捨て
フランス王への忠誠を
誓おうとする有り様
コノクソジジイホンマ
プロテスタント勢
堪らずイングランドの
エリザベスに助けを求める
「どうしよう…イングランド女王が
同じ女王のメアリーに対する
プロテスタント勢反逆へ加勢なんて…」
「でも、これって正確には女王メアリー
じゃなく皇太后マリーに対してよね…」
ここで寵臣ウィリアム・セシルの献言
「女王ってばいっつもそうやって
優柔不断なんだから!」
「スコットランドのプロテスタント勢が
いなくなっては困るのは
イングランドでしょう!」
「選択の余地なんてありませんぞ!
グダグダ言わずにやりなされ!」
エリザベス、陸海から
スコットランド遠征軍派遣ッ…!!
~対決!イングランド軍へ続く~
🍎アカリ🍎
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Blog@arabian🤴ロード・オブ・ザ・クイーン~女王の帰還~~前回のあらすじ~ 時を遡るLikeAサッカーのボール エリザベス スコットランドへ援軍を派遣! イングランド艦隊、フォース湾に進軍 フランス軍をスターリングから リースへと押し戻す! グレー卿率いる イングランドの別働隊八千 スコットランドのプロテスタント勢と 共闘しリースを包囲! しかしフランス軍の 夜襲も辞さない激しい抵抗に イングランド包囲軍もボロボロであった 「奇襲してコレとか フランス軍強すぎやろ… 援軍寄こされたらもう プロテスタント勢蹴散らされてまうで…」 「いやプロテスタント勢っていうか… 戦ってんの全部イングランド軍やんけ!」 「完全にイングランドvsフランス なってるやん! スコットランド人全然死んでないやん!」 「フランス軍呼びこんだの スコットランドやろがい! なんやねんアイツら! 何で頑張らんのや!」 ところが、何ともイングランドにとって 都合の良いタイミングで フランス本国で内紛勃発ッ…! 「もはや外国への介入どころじゃないわ! 使節を送れ! イングランドと和平交渉や!」 そうこうしてるうちに スコットランド皇太后 マリー・ド・ギーズ病死ッ…! この知らせを聞いたメアリーは 周りが気が触れたのかと 心配するほど悲しみ 彼女は最期まで最愛の母の肖像画を 大切に持っていたそうな そして戦況は… 「俺らフランス軍呼び込んだ 張本人が死んだからもう引き上げますわ」 フランス・イングランド両国 スコットランドから軍勢を引き上げ 戦争終結ッ…! 「もうお互いボロボロやし 今後軍事的に事を構えるのナシな! イングランドとの約束だよ!」 「あとメアリーさぁ 自分の紋章にイングランド王位継承権の シンボル掲げてるやろ?」 「今後その紋章、使用禁止な! あのフランスでさえ今回のことで エリザベスの王位認めたんだからな!」 しかし、その条約は スコットランドを除外して フランス・イングランド 2国間のみで締結されたもの 「誰が認めるもんですか! イングランド女王に相応しいのは この私、メアリー・スチュアートよ!」 メアリーの受難は続きます カルヴァン派プロテスタントの 台頭により スコットランドにおける ローマ法皇の権威が失墜 スコットランドからカトリックは 少なくとも法的には一掃されたことに これによりスコットランドの宗教戦争は ついにプロテスタントの勝利で 一応の幕を閉じた カトリック教徒のスコットランド女王 メアリー・スチュアートが13年ぶりに 故国の土に降り立ったのは よりによってプロテスタントが スコットランドの天下を 取った時だったのです カトリックであるメアリーの帰国に プロテスタント指導者 ジョン・ノックスは警戒を強め しかし大方の民衆は自分達の女王の帰還 ということで素直に歓迎しました スコットランド帰国後のメアリーは 上手くやっていました すでに成立してしまった新教会を 今更覆そうという気は起こさず 自身はカトリックでありながらも ちゃんとプロテスタントの 権利を保証してあげた 更にプロテスタント有力貴族、マリ伯 (ジェイムズ・スチュアート メアリーの異母兄) を任用するという度量の広さも示した だが、プロテスタント指導者 ジョン・ノックスはしばしば メアリーのカトリック信仰を批判した 「女王がダンス等の享楽に 耽るのはけしからん!」 などというつまらない批判まであった さてはコイツ毎日カスタマーセンターに 用もなく電話掛ける系ジジイですね メアリーは 「いいたいことがあれば 直接言ってほしい」 と4回に渡ってジョン・ノックスを 宮殿ホリルードハウスに招いて論争 頑固爺は納得することもなく 毎回物別れに終ったものの 彼を投獄するようなこともせず 帰国後数年間は平穏な統治を 続けることが出来たそうな ~メアリーに首ったけへ続く~ 🍎アカリ🍎 ご連絡はこちらブログ一覧
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Blog@arabian🤴ここが凄いよメアリーちゃん~前回のあらすじ~ 母は強し セント・アンドリュース城事件の最中 イングランド王へンリ八世 …崩御!よっしゃ! 跡を継いだ幼王エドワード六世 の摂政エドワード・シーモア セント・アンドリュース城陥落の1ヶ月後 イングランド軍一万六千を 南部スコットランドに派兵! 『ピンキーの戦い』にて 摂政アラン伯率いるスコットランド軍 大破!じじいコラ役立たず! 皇太后マリー、再び実家に援軍要請ッ…!! フランス王アンリ2世 「ま~た援軍?う~ん… 女王メアリーをうちの息子と 結婚させるんならいいよ!」 5年前のヘンリー八世と同じ 下心見え見えの提案! …でもフランスはイングランドよりは 信用できるからいいかぁ~ 女王メアリー、フランス行き決定! 対価として数千のフランス軍が スコットランド各地の城砦に駐留! 王国南部に居座る イングランドの侵略軍と睨み合い! 5歳の女王メアリー・スチュアート フランスに到着 フランス王アンリ2世はメアリーを 「小さな女王ちゃん」と呼んで 大いに可愛がったそうな 生まれつきの美貌に加えて ラテン語の読み書き、詩作、刺繍 音楽、ダンス等々最高の教育を受け 15歳になる頃には「フランス宮廷の華」 とうたわれるに至った 宰相の息子ダンヴィル卿をはじめ 多くの男たちが彼女に熱をあげ 詩人達も競って 讃美の詩句を書きならべた 超美人の上に超才女で モッテモテだったわけです そして15歳のメアリーは フランス皇太子フランソワと結婚 花婿フランソワはメアリーより ひとつ年下の14歳 こうしてメアリーは スコットランドの女王でありながら フランス皇太子妃の栄誉をも その手におさめたわけですが… 実はメアリー・スチュアート これ以上の大変な財産を持っていた イングランド王家の血筋である 簡単な話 メアリーの祖母マーガレットは かつてのイングランド王 へンリー七世の娘 つまりメアリーはヘンリー七世の曾孫! 列記としたイングランドの テューダー王家血筋! 充分にイングランドの 王位を要求できる立場にあったッ…! これはイングランドにとっては 大変な脅威 虚弱なエドワード六世は15歳で 子供も残さず早世 次期国王候補は異母姉妹の メアリー・テューダーかエリザベスのみ その問題の核心はこの 「異母姉妹」というところ 彼女たちの父、ヘンリー八世は 生涯に6人の妃をもち うち2人を処刑、1人と死別、2人と離婚 結婚生活がまともにいったのは 最後の妃としてヘンリー八世の死を 看取ったキャサリン・パーとのみ… という大変なクズであった この経緯からメアリー・テューダーも エリザベスも法的には 庶子という扱いを受けていた 嫡子・庶子の区別の厳しかった 当時のヨーロッパにおいて 彼女たちのような庶子が 王位を継ぐなんて普通ありえない話 その点、ヘンリー七世の 嫡出の娘を祖母にもつ メアリー・スチュアートの イングランド王位継承という話は 決して夢物語ではなく ともすればにメアリー・スチュアートは スコットランド女王・フランス王妃 イングランド女王という 3つの玉座を手にする可能性があったッ…!!! その辺の事情をフランス王 アンリ2世はわかってたわけです メアリー・スチュアートの結婚同年 イングランド女王 メアリー・テューダーが崩御 代わり妹のエリザベスが即位すると アンリ2世はただちに抗議宣言! 「庶子であるエリザベスよりも ヘンリー七世の嫡流である そして何よりフランスの皇太子妃である メアリー・スチュアートの方が イングランド国王にふさわしい!」 …メアリー・テューダーの時は 何も言わなかったの、なぁぜなぁぜ? …とはいえ、これには 驚き大慌てのイングランド議会 「エリザベスはヘンリー八世の 嫡出である!」と言って この突っ込みを躱そうとしたが メアリーはこの後も 自分のイングランド王位継承権を 主張し続けるッ…! そんなフランス王アンリ2世が 馬上槍試合中に槍が ホントに刺さって事故死という 嘘みたいな崩御の仕方をした挙句 息子フランソワが フランソワ2世として即位 自動的にメアリー、フランス王妃に とはいえ病弱なフランソワ2世 代わりにメアリー母方の ギーズ家が宮廷の権力を掌握ッ…! ~メアリー人生転落へ続く~ 🍎アカリ🍎 ご連絡はこちらブログ一覧
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