🤴ここが凄いよメアリーちゃん
~前回のあらすじ~
母は強し
セント・アンドリュース城事件の最中
イングランド王へンリ八世
…崩御!よっしゃ!
跡を継いだ幼王エドワード六世
の摂政エドワード・シーモア
セント・アンドリュース城陥落の1ヶ月後
イングランド軍一万六千を
南部スコットランドに派兵!
『ピンキーの戦い』にて
摂政アラン伯率いるスコットランド軍
大破!じじいコラ役立たず!
皇太后マリー、再び実家に援軍要請ッ…!!
フランス王アンリ2世
「ま~た援軍?う~ん…
女王メアリーをうちの息子と
結婚させるんならいいよ!」
5年前のヘンリー八世と同じ
下心見え見えの提案!
…でもフランスはイングランドよりは
信用できるからいいかぁ~
女王メアリー、フランス行き決定!
対価として数千のフランス軍が
スコットランド各地の城砦に駐留!
王国南部に居座る
イングランドの侵略軍と睨み合い!
5歳の女王メアリー・スチュアート
フランスに到着
フランス王アンリ2世はメアリーを
「小さな女王ちゃん」と呼んで
大いに可愛がったそうな
生まれつきの美貌に加えて
ラテン語の読み書き、詩作、刺繍
音楽、ダンス等々最高の教育を受け
15歳になる頃には「フランス宮廷の華」
とうたわれるに至った
宰相の息子ダンヴィル卿をはじめ
多くの男たちが彼女に熱をあげ
詩人達も競って
讃美の詩句を書きならべた
超美人の上に超才女で
モッテモテだったわけです
そして15歳のメアリーは
フランス皇太子フランソワと結婚
花婿フランソワはメアリーより
ひとつ年下の14歳
こうしてメアリーは
スコットランドの女王でありながら
フランス皇太子妃の栄誉をも
その手におさめたわけですが…
実はメアリー・スチュアート
これ以上の大変な財産を持っていた
イングランド王家の血筋である
簡単な話
メアリーの祖母マーガレットは
かつてのイングランド王
へンリー七世の娘
つまりメアリーはヘンリー七世の曾孫!
列記としたイングランドの
テューダー王家血筋!
充分にイングランドの
王位を要求できる立場にあったッ…!
これはイングランドにとっては
大変な脅威
虚弱なエドワード六世は15歳で
子供も残さず早世
次期国王候補は異母姉妹の
メアリー・テューダーかエリザベスのみ
その問題の核心はこの
「異母姉妹」というところ
彼女たちの父、ヘンリー八世は
生涯に6人の妃をもち
うち2人を処刑、1人と死別、2人と離婚
結婚生活がまともにいったのは
最後の妃としてヘンリー八世の死を
看取ったキャサリン・パーとのみ…
という大変なクズであった
この経緯からメアリー・テューダーも
エリザベスも法的には
庶子という扱いを受けていた
嫡子・庶子の区別の厳しかった
当時のヨーロッパにおいて
彼女たちのような庶子が
王位を継ぐなんて普通ありえない話
その点、ヘンリー七世の
嫡出の娘を祖母にもつ
メアリー・スチュアートの
イングランド王位継承という話は
決して夢物語ではなく
ともすればにメアリー・スチュアートは
スコットランド女王・フランス王妃
イングランド女王という
3つの玉座を手にする可能性があったッ…!!!
その辺の事情をフランス王
アンリ2世はわかってたわけです
メアリー・スチュアートの結婚同年
イングランド女王
メアリー・テューダーが崩御
代わり妹のエリザベスが即位すると
アンリ2世はただちに抗議宣言!
「庶子であるエリザベスよりも
ヘンリー七世の嫡流である
そして何よりフランスの皇太子妃である
メアリー・スチュアートの方が
イングランド国王にふさわしい!」
…メアリー・テューダーの時は
何も言わなかったの、なぁぜなぁぜ?
…とはいえ、これには
驚き大慌てのイングランド議会
「エリザベスはヘンリー八世の
嫡出である!」と言って
この突っ込みを躱そうとしたが
メアリーはこの後も
自分のイングランド王位継承権を
主張し続けるッ…!
そんなフランス王アンリ2世が
馬上槍試合中に槍が
ホントに刺さって事故死という
嘘みたいな崩御の仕方をした挙句
息子フランソワが
フランソワ2世として即位
自動的にメアリー、フランス王妃に
とはいえ病弱なフランソワ2世
代わりにメアリー母方の
ギーズ家が宮廷の権力を掌握ッ…!
~メアリー人生転落へ続く~
🍎アカリ🍎
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