「愛は茶色く古びて」〜幸福の匂い〜⑪
かくして私は親権をクロ子に
委ねる代わりにベスを譲り受けた。
そして犬の学校に
ベスを連れていくことに。
クロ子も呂布を連れて同行した。
期間は一週間コース、二週間コース
一ヶ月コースと様々選べ、中々のお値段。
そのメニュー表を見てクロ子が口を開く。
「大体どれくらいで
粗相は治るもんなんですか?」
「一ヶ月ですね」
「では一週間コース、二週間コースでは
治らないと?」
「まあ、そうですね。一、二週間だと
少し難しいかもしれませんね」
「粗相を治すための学校なのに?」
「ですから一ヶ月は
お時間いただかないと習慣が…」
「じゃあ一週間コース二週間コースが
何故あるんですか?」
「それはその、お金やお時間など
中々ご都合がつかない方のために…」
「でも治んないんですよね?
それってどうなんですかね?
相手の懐事情や仕事事情に付け込んで
治りもしないコースを設定して
誘導するなんて詐欺…」
「ちょっと待ったクロ子!
クレーム付けにきたわけじゃ
ないんだから!」
私はたまらず割って入ると
手習いの幇間ぶった謝罪をして
その場を収めた。
担当者の人は
苦笑いを顔に貼り付けたまま
犬たちの運動場を案内してくれた。
広大な、柵で仕切った
スペースがそこにあった。
トイレはトイレシートを新聞紙の上に
何枚か置いただけの簡易なものが
端の方に備え付けられている。
「大体ここで
一日15分を日に二回くらい。
今日みたいに新しいワンちゃんの
来客があった時なんかは
一時間くらい遊んだりしますねー。
呂布くんとベスちゃんも
ここならクレートから出してもらって
全然大丈夫ですよ?」
私たちは相変わらず車酔いで
グロッキーになっていた呂布&ベスを
見知らぬ広大なコンクリートスペースに
解き放った。
呂布&ベスは偉大な冒険家であった。
普通であれば
こんな広大な見知らぬ
コンクリートスペースに
突然放り出されたら
膝が震えて立ち尽くすか
クレートに退却して
輪廻転生に向けて思考を転嫁し
来世はライオン!来世はタイガー!
…等と現実逃避をはかるであろう。
しかし彼らは逃げなかった。
そしてライオンや虎のことも
知らなかった。
呂布&ベスはクレートを出るや
お互いの尻を追っかけまわして走り回り
なんと初めましての異国の陣地において
ちゃんとトイレシートの上に
おしっこまでした。
「ベス…うちではあんなに得手勝手なのに
なんで?なんでなの?あんたって子は…」
私は当たり前に礼儀を弁えたような
顔をしておしっこをしているベスを見て
嬉しいような裏切られたような親心として
実に複雑な涙が溢れ出そうになった。
「ベスは借りてきた猫状態だねぇ。
犬だけど。
他人の家ではお利巧にできるんだね。
レンタルわんこちゃん。
呂布はいつも通りいい子だねぇ。
良い子良い子ー」
クロ子がうちの子にとっては
当然のことですけどね?
みたいな態度で呂布を褒めそやす。
「クロ子!ベスのこも褒めてよね?
離れてもあんたの子でしょうが!」
「でも育ての親はもうアカリだし
犬と人にも相性ってのがあると思うのよ。
私と呂布の相性と同じく
アカリとベスの相性も
そっちの問題じゃん?
それに、私が介入したら
ベスが混乱しちゃうじゃん」
「親権はクロ子にあるでしょうが!」
「でも娘さんをくださいって言ったのは
アカリじゃんか。
だったら娘の躾くらい親として
ちゃんと面倒みてよねー」
なんという身勝手な
ビッグダディであろうか。
面倒事を押し付けるかのように
私にベスの躾を任せるなんて。
クロ子の姿が、まるで離婚して
養育費も払わず新しい家庭で
厚顔無恥に幸せを謳歌する
無責任な父親の姿と重なって見えた。
…しかしそこで
思考にブレーキが掛かった。
そもそもクロ子が返せというベスを
自分が責任を持って育てるから
と譲って貰ったのは私だ。
クロ子が呂布の父となり
私がベスの母となるのは
当然のことじゃないか。
危ない危ない。危うく愛情の行方を他責にするところだった。
私は内心で己の愚考を犬神様に懺悔した。
しかし犬神ってそもそも
呪詛の憑き物のイメージの方が
我が国では強くないか?
私の脳裏に池から突き出た
スケキヨの足が浮かんだ。
あの足がスケキヨではなく
カズマの足だということを
犬神家の一族を観た人以外は
知らんのだろうなぁ。
カズマも正しい神に祈っていれば
足じゃなく、せめて顔を
水面から浮かばせることができただろうか?
それはそれで怖い気がする。
その後
カズマの生首を持ったジェイソンが
クリスタルレイクから
上がって来そうだし。
クリスタルではなく
せめてほのぼのレイクくらいに
していただきたい。
いや、それも御免被る。
私はかつて大家に頭を下げて
借金地獄に陥った夢を思い出して震えた。
そもそも犬神なんぞに関わるから
私の思考もこんな
絡まったことになるのだ。
正しき神に祈り直さなければ。
馬頭観音とか?
でもあれ系の神様は
地獄の牛頭・馬頭と区別が付きづらくて
まどろっこしいような…
そんなことを考えた結果
私はいつしか般若心経を唱え
一切は空なり。
と、この世の摂理を己に説き
自己暗示を掛け始めていた。
ところに、他の犬たちがやってきた。
「この子が同じ
ポメラニアンのマルちゃん。
ちょうど一歳の女の子ですよー」
ベスより少し大きめの白いポメラニアンが
トレーナーに連れられて
運動場に加わった。
三人はグルグルと
お互いの尻を追いかけまわし始めた。
正直、高速で移動されると
どっちがベスかわからなくなる。
顔を見ればわかるのだが。
呂布&ベスは大きな口で
ウルフ味があるのに比して
マルちゃんはキレイに丸顔。
赤い狐というより緑の狸である。
白いけど。
高速で回転する三人を見て
私は呂布&ベス&マルちゃんが
油揚げの入った白いバター麺にならないか
少し心配した。
クロ子は一緒に輪に入って
サイドステップを用いて回転していた。
「そしてこの子がパグの男の子
シンジくんです」
鼻ペチャな、黒く愛らしいシンジくんは
しかし見た目とは裏腹に大人しかった。
まるでロボットに乗りたくなくて
不貞腐れている思春期を拗らせた
中学生のようだった。
そんなシンジくんが
伏せて動かないのを見て
呂布&ベスは一定の距離を保ちつつ
これを観察していた。
新大陸の先住民に
出会ったかのような反応であった。
「顔平族の子たちが珍しいんでしょうね。
この子たち、目鼻がくっきりしてるのが
当たり前と思ってますから」
なるほど確かに黒船で
マシュー・ペリー率いるアメリカ兵を見た
吉田松陰もこんな気持ちだったのだろうか。
しかし呂布&ベスに
吉田松陰ほどの尊王攘夷の
志があるはずもなく
程なくしてまたマルちゃんと
犬渦を作って走り出した。
クロ子だけがシンジくんの
気を引こうと一人
ロボットダンスを披露していた。
🏮 燈 🏮
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