ジューダス・クライスト~エピローグ~「絵守の手記」
〇月×日
絵が描けないのに行き詰って
筆山君の部屋を酒瓶片手に訪れたら
鍵が開いていた。
中では筆山君が、僕と同じように
筆の一歩を踏み出せず苦悩していた。
なんだか自分を見ているようで
胸が苦しかった。
何となく
今後の戒めにスケッチしておいた。
もう絵画展の期日まで時間もないのに
僕は一体何をしているんだろう。
酒瓶を寝ている筆山君の傍に置いて、帰宅。
〇月△日
コンクールに出すに値する絵が描けない。
いや、ひとつだけある。あの絵だ。
あの筆山君の
あと一歩を踏み出せずに苦悩している姿。
あれは僕自身だ。
しかし、よりよいものを求めて
その欲と抑圧の狭間で
矜持に押し潰されながら苦しむ。
それが芸術家の一番大部分を
占めている姿じゃないだろうか。
輝かしい瞬間なんて
その中に一瞬訪れるかどうかの
不実な芸術の女神のペテン
みたいなもんじゃないか。
絵の名前は
僕の名前をそのまま付けようとも思ったが、
やはり筆山君の名前を付けることにしよう。
あの絵は、彼のおかげで完成したものだ。
ならば勝手にスケッチしたお詫びと
お礼の念を込めて
彼の名前を少しでも
世に売ってあげるべきだろう。
彼は文士として
まだ世間に全然認知されていないことだし。
それに、あの絵は
僕と筆山君のシンクロニフィティを顕した
長年の友情の証みたいなものだ。
ならば僕の名義で出展して
タイトルは彼にすべきだろう。
◇月×日
僕の作品が世界絵画大賞を受賞した。
まさか
あんな勢いで描いた絵が評価されるなんて。
僕は今まで絵のことを
難しく捉えすぎていたのかもしれない。
ただ純粋な気持ちを
画布に塗抹すればよかった。
簡単なことじゃないか。
そんな簡単なことが
中々現代人にはできやしない。
それは「純粋な気持ち」自体が
擦り減って稀有なものになりつつあるから
なのかもしれない。
しかし、それで言うなら
僕にこの絵を描かせた筆山君の方が
余程に純粋な気持ちの持ち主だ。
彼は感情をありのままに
行動で表現することができる。
原稿用紙の前で変にカッコつけて構えずに
それを筆に込めて無心に作品に没頭すれば
きっと、必ず、彼も僕のように、いや
僕以上に人々の評価を得られるはずだ。
この絵を通して
僕の気持ちが筆山君に伝わるだろうか?
◇月▽日
同時受賞したトニオ・サルバドール・
マクダニエル・ゴンザレス画伯の絵を
鑑賞して、涙が止まらない。
あの絵には、真の愛と、贖罪と、無責任と
不条理と理不尽が混在していながら
奇跡的に一つの絵として
調和が齎されている。
なんて美しい絵だろう。
生々しい感情が
剥き出しに描かれていていながら
まるで絵に描かれた人物の一人一人が
絵を実体として
実際に生きているかのようだ。
トニオ・サルバドール・
マクダニエル・ゴンザレス画伯は
この絵を描くために生涯を費やし
その人生を極端なまでに芸術に捧げて
逝ってしまったそうだ。
芸術家が短命なるならば
かくありたいものだと思う。
芸術への滅私奉公。
僕なんかには、その代償なしに
こんな絵を描くことは
一生かかっても不可能だろう。
芸術家としての信念の差を
思い知らされる気持ちだ。
今、僕の絵は、トニオ・サルバドール・
マクダニエル・ゴンザレス画伯の絵と
並んで展示されている。
それはきっと僕の人生で
一番の栄誉に違いない。
×月〇日
筆山君に殴られた。
後頭部を強か打ったおかげで
くも膜下出血と診断された。
これじゃ
もう趣味のクンクメールもできない。
全くもって頭にくる。
でも、それで血圧を上げて
脳動脈瘤が破裂しては元も子もない。
これからは平常心を大事にしなければ。
…筆山君の直情的な部分は
出力する先をいつも間違える。
僕を殴りたいのなら、直接的にではなく
文学の力で殴って
思い知らせてくれればよかったのに。
いつになったら彼は
自分の才能のベクトルを
正しい方向に向けられるのだろうか?
彼はプライドが高すぎる。
文学に対して、あまりに高潔過ぎる。
このままでは、彼はその直情的な才能を
どこにも咲かすこと叶わず
文士としても人間としても
路頭に迷ってしまい兼ねない。
友人として
なんとか彼を正しい方向に
立たせることはできないものか。
□月▲日
絵画大賞を受賞してから
僕の生活は変わった。金が入ったからだ。
そして金を持った途端に
色んな人間が近付いてくるようになった。
どいつもこいつも、ろくでもない
教養もなく
芸術を1ミリも解さない俗物ばかりだ。
高い絹物や高い金物で武装している様も
実に醜悪だ。
中身がない者ほど
鎧を纏って、虚飾と詐術で世を謀る。
何時の時代も変わらない。
そんな中に、一人の弁護士がいた。
なんでも昨年の弁護士会で
大きな賞をとったらしい。
一見、誠実そうに振舞ってはいるが
その心胆は自信満々で太々しく
その双眸の奥には
とにかく獲物から金を
むしり取ってやろうという
狡猾で怪しげな光が
欲に駆られ渦巻いているようだ。
こんな奴が弁護士会の権威になっては
世も末だ。
□月▼日
例の弁護士が
筆山君の暴力事件で争わないか?
と持ち掛けてきた。
そりゃ一発は殴り返してもやりたい。
しかしそれは、芸術の力でやるべきことだ。
だが今の彼と僕では
その芸術性の世間的な評価が
あまりにもかけ離れ過ぎている。
僕が彼を芸術の力で殴ることも
もはやできない。
そもそも本音を言えば
あの絵で殴ったつもりだった。
殴った衝撃で、筆山君が真の芸術の道に
目覚めてくれることを願った。
しかし、それはただの
筆山君の癇癪の材料にしかならなかった。
僕は逡巡した。
芸術の力ではなく、法の力で殴られたならば
彼も少しは目を覚ますだろうか?
筆を正しい方向へ
向ける気になってくれるだろうか?
…僕の手の中にある
この使い道のない、金という紙切れの
正しい使い方があるとすれば…
▼月▼日
筆山君が刑務所に送られた。
僕は
とんでもない間違いを犯してしまった。
少し法の力をチラつかせて脅かして
謝罪にでもきてくれれば。
それでよかった。
そこで筆山君の直情的なベクトルを
誤った方向から修正できればよかった。
僕はその制裁の強弱を
なんであんな悪徳弁護士に
任せてしまったのか?
そんなに僕は眼前のことに
盲目になっていたのだろうか?
確かに、ここ最近は
くも膜下出血よりも何よりも
筆山君の心配ばかりしていた気がする。
彼が僕の前からいなくなって
僕は俗物ばかりの界隈で
疲れ切ってしまっている。
そのせいだろうか。
金なんかさっさと使ってしまいたかった。
だから好きなだけ弁護士に預けた。
早く彼に会いに来て欲しかった。
…その金のせいで
彼は刑務所に行ってしまった。
過ぎたる金は、司法を捻じ曲げる悪徳だ。
▼月◆日
二年。二年の我慢だ。
彼は狂った法の下で
とても理不尽な経験をするだろう。
それはきっと、彼の文学を覚醒させる
掛け替えのない経験になるに違いない。
今の僕には、もう、そう思うしかない。
責任逃れでも構わない。
僕も、彼が目を覚まして僕の元に来ることを
この俗物まみれの界隈で
俗悪な風習に塗れながら耐えることにする。
僕も罰を受ける。
筆山君。こっちも地獄だよ。
脳動脈瘤が破裂しても構わない。
殴りにでもいいから
早く僕に会いに来てくれ。
■月■日
絵が描けない。筆山君に会いたい。
酒の飲み過ぎだと、医者に警告される。
大きなお世話だ。
❖月❖日
いよいよ筆山君の出所日。
迎えに行きたいが、迎えに行きたくない。
彼から会いに来て欲しい。
もう、絵を描かなくなって
どれくらい経つだろう。
権威を笠に着れば
大衆はAIに描かせた適当な贋作にも
ありがたがって大枚を叩く。下らない。
日に日に酒の量が増える。
●月●日
酒を飲まずにはいられない。
筆山君が文士として大成すれば
僕もまた絵描きに戻れるだろうか?
彼が大作を書き上げるのを期待して
僕は待ち続けるしかない。
早く、この地獄から解放されたい。
●月▲日
筆山君がすっかり引き籠って
腐っているらしい。
生活保護まで受けて
完全に筆を絶ってしまっているとか。
…そんなのあんまりじゃないか。
僕はずっと筆山君を待っているのに。
あの弁護士のやり口を受け入れてまで
彼に賭けたのに。
これじゃ僕は
イスカリオテのユダじゃないか。
僕は、友人に文士として
立って貰いたいがために
やり過ぎてしまった。
ユダも、僕のようにパリサイ派に
言いくるめられたのかもしれない。
たった銀貨三十枚で、主を売り払った?
金なんて、いくら持っていようが
重くて苦しいだけじゃないか。
でも
ならどうすればよかったって言うんだ?
どうすれば筆山君は
文士として立ってくれたって言うんだ?
僕は、一体どう彼に償いをすればいいんだ?
…彼はなんで僕に会いに来てくれないんだ?
もういい。知るもんか。
僕の方から会いになんて行くもんか。
元はと言えば筆山君が悪いんじゃないか。
…いや、お互い様か。
何をしてるんだろうな、僕達は。
★月★日
筆山君に会いたい。
これ以上、酒を飲むと命に係わるらしい。
医者なんかに何がわかる。
(空白の頁が続く。最期の頁。
文字が紙から自然に浮き出している。
日付はない。)
また、サタンに逃げられた。
筆山君がいつも火炎魔法ばかり使って困る。
コキュートスの氷が溶けて、雪崩が起きた。
絶望を溶かしてできた海に
変な器が浮かんでいた。
拾い上げると、お猪口だった。
トニオ・サルバドール・
マクダニエル・ゴンザレス画伯が
何故か徳利を持っていたので
熱燗にして注ごうとしたら
筆山君が「これは僕の希望の船だ!」
とゴネて懐にしまってしまった。
彼は放火魔になって
頭がござってしまったのだろうか?
ユダは、まだサタンの口の中だ。
彼は筆山君の炎を間接的に喰らい過ぎて
最近なんだかコゲついてきている気がする。
香りもなんだか香ばしい。
早く助けないと
ユダまで筆山君に焼かれてしまいそうだ。
でも、もし彼が
筆山君にコンガリ焼かれてしまったなら
彼は今度こそ神の元に召されるのだろうか?
そうしたら、大事な人に
本音を伝えられるだろうか?
神様になったイエスは
元の、友人だった頃のように
ユダと語らってくれるだろうか?
…大丈夫。
神様も、そう捨てたもんじゃないはずだ。
僕らはそれをよく知っている。
ジューダスを救えるのは
クライストだけだということを。
🍎アカリ🍎
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𝐈𝐧𝐬𝐭𝐚𝐠𝐫𝐚𝐦
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