畳まれた宇宙【下】
「まず、タオルの裏表を確認して
ふちが手前に来るように広げるんです」
私の勝手な心配を余所に
彼女は生け花を整えるようにして
静かにタオルの端を持った。
指先が空気をなでるように布の繊維をそろえ
左右対称になるように縦に一度折る。
その動きに一切の無駄なく
されど一切の迷いなし。
私は彼女の指先に利休の茶室を見た。
次にもう一度、縦に折って細長くします。
「このとき
縁が見えないように内側に巻き込むと
見た目がぐっと美しくなるんです」
彼女の手元には茶室を抜けて
枯山水が広がっていた。
真っ直ぐな折り目でもって
完璧な直方体に仕上げられたタオルは
まるで最初からその形に作られたかのように
布の厚みを均等に保ちながら
柔らかな空気を存分に蓄えていた。
「最後は三つ折り。
端から三分の一のところで折って
反対側も重ねます。
ポイントは、力を入れすぎないこと。
布が生きているみたいに
少しだけ呼吸させてあげると
ふっくらしますよ」
枯山水に水が流れ込んで日本庭園となり
大池から鯉が跳ねて天に登り
龍となって太陽と
地表を繋ぐ銀の柱が顕れた。
大池に残っていた鯉たちは
その柱の周りを群れを成して回転し上昇
陽光は花吹雪のようにまばらに散って
鯉たちの鱗をひとつまたひとつと覆い隠し
やがて金色の鯉たちは黄龍となって
青龍・朱雀・白虎・玄武を四方に従え
空を呑み込み
日の丸をもその腹の中にすっぽり納めて
巨大なエネルギー体として大気圏上に鎮座
世界は新たなる曙光によって照らされた。
私は新たなる世界の誕生を
眼前に見て祈りを捧げ
このタオル地の中に存在する
確かな宇宙の息遣いの
敬虔なる信者になろうと
その気配に呼吸を合わせた。
そして私は空間と調和し
禅を悟り、わびさびの概念に涙した。
それ以来
私は暇さえあればタオルを畳んでいる。
癖ではない。もはや殉教の精神である。
私は大いなる宇宙の意思に導かれ
その終着の極点がタオル地という温もりと
安らぎの隙間に閉じ込められたのだ。
洗いたてのタオルを手に取り
あの日の鬼ギャルの手つき所作を
思い出しながら、掌の中に一枚
また一枚と禅の神秘を作り出し
棚に収めていく。
勿論、最初はうまくいかなかった。
些細なことから宇宙の法則は
簡単にねじ曲がる。
ある時はガンマ線がバーストして
オゾン層に甚大な被害が及び
星々は酸性雨に晒され、季節は常に極寒。
大地は須らく地獄の最下層
コキュートスと色を同じにした。
またある時は沸点が-120℃以下となり
美しき我らが水の星は灼熱の塊と化した。
その都度に黄龍がその長大な巨躯で
星を包み抱き、時空間を湾曲させて
なんとか事なきを得た。
四聖獣は蒸発しては召喚を繰り返され
すっかり不貞腐れてしまった。
全然四方を守ってくれなくなった
四聖獣のために
私は折り目に祈りを込めて畳んだ。
すると、段々に折り目の歪みは整い
バラバラだった厚みは中庸に落ち着き
整った角と角がぴたりと重なった瞬間
ささやかな達成感と共に
四方から寿ぐような嘶きが聞こえた。
私の心は一瞬にして
感謝と歓喜に満ち溢れた。
お歳暮には彼らに要らなくなったタオルを
段ボール詰めにして
送り付けてやろうと思った。
ところがある日
畳んだタオルを眺めながら、ふと気づいた。
指先が、カサカサに乾いていた。
掌の皮膚は細かな線を描き
爪の周りには小さなささくれができていた。
然し私は、その乾燥を誇らしく思った。
美しさを追い求め、真理を追求する動作が
我と我が身に刻まれてゆく。
まるで指先を宇宙に浸したようだ。
目に見えない勲章が、そこにはあった。
傍から見れば
淡々とタオルを畳んでいるだけの時間。
だが私はその刹那刹那の一折ごとに
今日という一日を畳んでいるのだ。
誰と何を話したか
何を何回咀嚼し嚥下したか
皮膚を通して訴えかけてくる苦しみ哀しみが
どれだけこの大地に漂っていたか
果てない闘争の終着駅はどこにあるのか。
絶望失望を乗り越えた先の光を
この布で柔らかく包んで
閉じ込めることができるだろうか。
よしんばそれを包んだとして
それを押し入れに仕舞って
十界に平等にあるべき光を
形而下の六界から、形而上の四聖に
移してしまってよいのだろうか。
心のざわめきが静まりながらも
その色を濃くして
十界互具の境涯を想いながら
私はタオル地の上で座禅に耽るのであった。
夜。
洗面所の明かりの下
手に残る乾いた感触をそっと撫でる。
そこには
今日という一日を刻んだ跡が確かにある。
何かを大きく成し遂げたわけでもないが
何かを大きく捻じ曲げることもないこの掌。
しかして今日を確かに過ごした証として
タオルと掌が静かに寄り添っていた。
🍎アカリ🍎
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