万華鏡患者【急】
しかし寝覚めの悪い頭で私はふと考えた。
果たして本当にそんな理論に
帰結してしまって良いのだろうか?
因果というものは理屈で説明のつかぬもの。
私が万華鏡によって曼荼羅に
思いを導かれたことは純然たる事実であり
なんとなれば万華鏡にて偶然の宇宙を発見し
そこに秩序の宇宙としての曼荼羅が
存在していたという
見方もできないことはない。
してみれば、これは視覚による
瞑想から通じた必然的な出会いとも言える。
ひょっとしたらこれこそが
人智を超越した観世菩薩のお導き
であるのかもしれない。
こうなったら私はいっそ
曼荼羅を買ってしまおうかしら。
というと、私の中の私が
「我利我利な妄想に恋着して
勝手に純朴女学生気取ってんじゃねえよ
このスベタ!」
と私を糾弾してくるだろうが
こんな内なる私の声に負けていては
私は私をいつまでたっても
この私に統合できない。
となれば、私はもはや私の精神を
統合するためにも曼荼羅を買うしかない。
買うしかないのだが
そうすると今度は別の問題が出てくる。
大体において私は無宗教家である。
そんな凡骨が
仏教の教えを顕した神聖なる曼荼羅を
ろくに理解もせず和様建築から程遠い
RC構造のリビングに飾る
などという行為は
流石に身の丈に
合わないのではないだろうか?
例えるならばそれは
恐れ多くも弘法大使の袈裟を羽織り
合わぬ丈の裾を引きづって新宿などを徘徊し
尊い法衣をトー横の地べたで汚すような
不道徳極まる蛮行に
値するのではなかろうか?
そのような冒涜めいた真似を
果たして大日如来が許してくれるだろうか?
否。
例え仏が許したとしても
そんな私は、私の私が許しはしないだろう。
何より私のことは
私が私よりもよく知っているはずなので
私には私の考えが
手に取るようにわかってしまう私。
なんだか私は私が
大日如来よりも恐ろしくなってきた。
嗚呼、私がゲシュタルト崩壊してゆく。
この剥がれ落ちた私の中心にこそ
ひょっとしたら曼荼羅の本質が
あったりするんじゃないかしら。
そこから世界が広がってゆくのかしら。
その世界はまた私に満ちているのかしら。
あな恐ろしきは私なり。
こうなったら私は私の世界から
私を放逐しなければならない。
そうするとやはり私には
曼荼羅が必要なのではないかしら。
私の精神は曼荼羅によって
宇宙に同調接続され
私は曼荼羅の中心から
因果律を巡って再び中心へ帰る。
私に還りなさい。
燃える魂。レッドソール。
魂のルブタン。なにがやねん。
そうしてなんやかんやで
若干のトランス状態に陥りながら
思考の旅を巡り経て
浮世に何とか帰り着いた私は
今、居間で茶を啜りながら
サルートの新作やら
おぱんちゅうさぎの景品やらに
目を通している。
居間居間しいことである。
こうして万華鏡からも
曼荼羅からも解放されて
仏罰を怖れることもなく
なまぬるい時間を眺めていることの安らぎ。
混沌が秩序へ収束する瞬間の絵巻の巻末に
このような静謐な宇宙が
顕れるのではないか。
私は一体何を言っているのだろうか。
結局、私の買い物というのは
いつもこのような不実と逡巡の連続に
翻弄されて儘ならないのだ。
それもまた人生。
いとをかし。欲し茶菓子。
そんな風に茶を啜りながら
お茶を濁していると
その味が少し
渋みを増してきたような気がした。
部屋の隅には、買ったばかりの万華鏡が
ワビサビを帯びて転がっていた。
🍎アカリ🍎
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