礼賛のシャワー
――鏡の中の私が
ちょっとマシに見えるのは
錯覚でなく祝福なのだと思いたい。
ピラティスに通い始めた。
その理由は、すこぶる人間的で
俗っぽく、情けなく
しかし確信をもって美しい。
それは、褒められるためだ。
スタジオは、蛍光灯の白光に満ちていた。
まるで真昼の真理のように
そこには一片の影もなく
すべての輪郭が白日の下に晒される。
広くて、磨かれた床があり
天井には光が泳ぎ
空気は薄い音楽のように揺れていた。
そこに、先生がいる。
ニコニコと輝いて
まるで太陽に飼われている
月のようなひとだ。
彼女の顔が発光している
のではないかと疑うほどに
光を味方にしている。
その光と蛍光灯とが
ぶつかり、混ざり、溶け合い
スタジオの空間はまるで
神のブラシが描いた
湾曲したガラスのような美術品となる。
私はそこに立ち
ただ空間の一部となって溶けてゆく。
鏡に映る自分が、少しだけ綺麗に見える。
それは錯覚ではあるのだろうけれども
錯覚の中にも人生は宿る。
夏の日は、ひどい。
太陽が勝手にご機嫌をきかせて
まるで世界の王様にでもなったつもりで
顔を膨らませ
こちらの額に問答無用で汗を刻みつける。
一歩外に出れば
空気は煮凝りのような熱気を纏って重く
景色がゆらゆらと
蜃気楼めいて揺れて見える。
私はその粘っこい夏を払いのけようと
自転車に乗る。名をブケファラスという。
私の愛馬、ママチャリである。
自転車に跨って走る様は
まるでぬるま湯の中を
ビート板にしがみついて泳ぐ
カンダタのようだ。
可笑しみと哀しみとが
手を取り合って進むその姿を
誰が笑おうと構うものか。
私は生きるために漕いでいるのだ。
ピラティスの空間に入れば
その熱帯の牢獄から解き放たれる。
空気が澄んでいて、清らかで
余分な感情を置いていける場所。
そこだけが、私の輪郭を曖昧にせず
美しく保ってくれる
唯一の場所だとすら思える。
そして何より、先生が、褒めてくれる。
「可愛いね、いいね、上手いね」
その言葉の粒が
まるで午睡の夢の中に降る
冷ややかな水滴のように
私の内側を濡らしてゆく。
ああ、先生は見抜いているのだ。
私がやればできる子だと。
そして、褒めねばやらぬ子だと。
少なくとも、後者のほうは確実に真である。
私は、先生に褒められに来ている。
きっと、そうだと思う。
サボテンだって、褒めれば咲くのだ。
貶せば萎れる。押せば倒れる。
棘ばかり立てて蹲っていれば
その棘が自分自身を突き刺して
ますます動けなくなる。
私は、自分の棘に刺されて
泣いた経験があるからこそ
花になりたいのだ。
今日も私は、先生の礼賛のシャワーを浴びて
青々とした芽を出そうとしている。
美しいかどうかは、知らない。
でも私には
褒められたいという確かな理由がある。
その理由があるかぎり、私は通う。
呼吸し、伸び、踏みしめ、咲こうとする。
サボテンが咲いたときの幸福を語るために。
花は、ひとりで咲いたわけではないのだと。
🍎アカリ🍎
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