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Blog@arabianさしあげまんじゅう――わたしがまんじゅうを 配って回った理由は 誰にもわからなくていいのです。 化粧品よりも心の厚化粧をこしらえて わたしは朝からそわそわしていた。 今日は撮影の日。何か持っていこう。 前に、バレンタインに チョコレートを持っていったとき カメラマンさんが子供のように 喜んだのを思い出したのだ。 ふと頭の中に楕円系の輪郭が浮かんだ。 揚げまんじゅう。 この世の片隅でこっそり 油に沈められた菓子が なぜか私の魂をくすぐった。 あれだ。あれにしよう。 しかし目当ての 揚げまんじゅう置いているお店は 駅からやたら離れた場所で商いをしている。 徒歩でいくには時間が惜しい。 この世は刻一刻と時間に支配されている。 そのうち1時間が 1万円で買える時代が来るのかしら。 そんな映画があった気がする。 そして篠田麻里子氏が 吹き替えで炎上していた気がする。 「TIME!」手を振ってそう叫び タクシーを拾った。 この世には「わざわざ」が似合う行動と 「ついで」が似合う感情とがあるけれど この日の私はまったく 「わざわざ」の女だった。 車内は、うららかな昼下がりの光に溶けて 少し眠たくなるような気配があった。 けれども私の胸は 揚げまんじゅうへの想いで満ちていた。 あれは何かこう こうばしく、熱く、ねちりとしていて 油にまみれた真心のような味がする。 店に着き、注文を終えた私は ふと思いついた。 あのタクシーの運ちゃんと お世話になってるピラティスの先生にも 渡してしまおうかしら。 理由はなかった。 ただその瞬間、そうしたかったのだ。 まるで、花が咲く理由を 問うてはいけないように。 私は袋を二つ追加して 紙袋の中に湯気のような 使命感を詰め込んだ。 タクシーに戻り 運ちゃんに一袋差し出して言った。 「揚げたてよ」 彼はまるで、自分の娘に お年玉でももらったかのような笑顔で 「ありがとうございます」と頭を下げた。 それだけのことだったのに 私の中で何かがきゅっと鳴った。 ああ、わたし こうして物をあげて生きてきたんだな、と。 ピラティスの先生にも渡した。 彼女はキリリとした顔でこう言った。 「有名店のですね!ありがとうございます! 現代人は油を摂らなさすぎなんですよ!」 職質されたらまずいんじゃないか というようなテンションだった。 しかしなるほど、そういう見方もあるのか。 私のこの、心の油ぎった優しさも 誰かに必要とされる日が くるのかもしれない。 そんな気がして、少し泣きたくなった。 撮影スタジオに着くと カメラマンさんが「わっ」と言って 本当に嬉しそうに笑った。ああ、やっぱりこの人は チョコレートのときと同じ顔をするのだ と、私はどこか安堵した。 こうして、揚げまんじゅうは 私の手から手へと渡り、人の胃袋へ沈み 心にじんわり油染みを残してゆく。 やがてその油の染みは、地球の空を包みこみ 大気圏を越えて回り始めるだろう。 私の、あなたの あの人の揚げまんじゅうが ぐるぐると地球を巡って 気がつけば、土星のような まんじゅうの輪っかが出来ている。 そうして人類は、どせいさんになるのだ。 いや、きっともう、私たちはとっくに どせいさんだったのかもしれない。 愛とは、油である。ときに熱く、 こっそり重く、人を太らせる。 どせいさんには 揚げまんじゅうが良く似合う。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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Blog@arabian私は日本語で答へたのです――それでも尚、あの青年の目には 私の言葉は文字化けしてゐたらしい。 薬局というものは、此の俗世の縮図である。 ティッシュ、目薬、歯間ブラシに湿布薬 ありとあらゆる小宇宙の集積が 無造作に棚に収まってゐる。 人が求めし癒しと、或いは虚栄とが きちんと値札を与へられて 陳列されてゐるのだ。 我は其処へ 買ひ出しの名のもとに参詣したのであった。 レジ前に並びし時、空気は微かに波打ち 何とはなしに不穏の風が立ち上る。 行列の足取り、遅々として進まず。 これ、何事ぞ。 我が後ろに並ぶ人々も 鴉の群れの如く沈黙しつつ ただ一様にスマートフォンに 目を落としてゐる。 やがて、順番至りぬ。 我、漸くにして会計台の前に立てり。 そこに居並みしは、一人の青年。 「実習生」と染め抜かれた名札が 襟元に青白く光ってゐた。 なるほど、斯様なるか。 遅きもまた道理なり。 思へば、社会といふ猛獣の胃袋に 今まさに呑まれんとする若人の その初陣ぞ。 我は心中にて、無責任なる激励を送る。 がんばれよ、青年。 人間、慣れればみな機械と化すものだ。 商品カゴを卓上に据ゑし、その瞬間である。 未だ底が机と邂逅せぬ刹那 彼は言ひ放った。 「袋、いりますか?」 早い。早すぎる。 心の準備といふものがある。 まるで恋人との別れ話を 食前に持ち出されるやうな唐突さである。 我は内心の狼狽を隠しつつ 鞄の空きを確かめるべく、手を突っ込む。 すると再び、彼の声が空間を断ち切った。 「バッグ?」 その声は、憐れみを含んでゐた。 いや、いや違ふ、あれは…確信だ。 我が鞄に手を突っ込む所作を 彼は解釈したのだ。 「ああ、この人は日本語が通じぬ 異邦人なのだ」と。 …ああ、何といふ誤解。 我は道端の桜並木を嗜み 納豆の粘つきをこよなく愛し 煮干しの出汁で涙する 純正なる日本製女子であるのに。 しかし此の青年には 我が外見が、異邦の者に映じたのだ。 顔つきか? 服装か? それとも、ただの雰囲気か。 我、己が何を以て 異邦人と断ぜられたのかに思いを巡らすが 答へは来たらず。 「いや、要らないです」 口は確かにそう動いた。 滑らかに、明瞭に、正しき日本語にて。 だが、我が声は儚くも小鳥の囀りの如く 空気に紛れ、彼の鼓膜には届かなかった。 青年は尚も袋を差し出す。 我はその手から逃れる術なく 望まずして袋を受け取る。 そして、我は外国人として 袋を一枚、買ったのであった。 続く会話は、滑稽の極みである。 「キャッシュorカード?」 もはや彼の語り口には疑問すら無く 我が祖国語は葬られた。 我は怒りに似た昂ぶりを抑へつつ 今度こそ届かせんと、叫ばんばかりに—— 「現金で!」 声が出た。 思ったより大きく、思ったより鋭く 思ったより日本人離れした音量で。 青年は瞳を大きく開き まるで禅問答の答を 目撃したかのやうな表情をした。 突如として発せられた強き音。 彼の脳裏には 「異邦人突然発狂」 「店内緊急対応マニュアル」 「信義礼智」等 百八の言葉が渦巻いてゐたであらう。 その不安気な様子に気づいたのか ベテラン店員たちが一人、また一人と 背後に現れ、青年を取り囲む。 彼の頭上にはもはや 「見守り」「指導」「支援」の名の下 無言の圧力が降り注いでゐた。 隣のレジでは、列が長蛇となりて 怒号すら飛び始めてゐたが、此処はもはや 一人の青年の魂の試練場であった。 人を育てるとは、難しきことかな。 「All for one」は美しき理想なれど 過ぎれば溺愛、甘やかし 或いは他者の機会を奪ふ枷ともなる。 ライオンの親が子を 千尋の谷に突き落とす例え 我は初めて真に理解せし気がした。 さて、我は店を出た。 袋の中に詰まれたティッシュは ことのほか軽く ふわりとした手触りに一抹の慰めを覚えた。 ああ、されどこの手に残る袋の重さは 我が誇りと誤解と小さな声が織りなした 哀しき戦の残滓であった。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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