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Blog@arabian雨に濡れる資格──幸福そうな人間だけが びしょびしょになっても許される。 日めくりの角が湿気にふやけて まるで忘れられた恋文のように くたびれていた。 私は宣材写真の撮影という名目で 紫陽花の咲く小径へと赴いた。 撮影などというと何やら晴れがましいが 要するに、他者のレンズに 自分の顔を明け渡す儀式である。 しかもその日は、雨であった。 最初は陽が差していた。 絹地のように柔らかく 空気は穏やかに揺れていた。 けれども、ほどなく雲は不穏な構えを見せ やがて糸をほどいた針子のように 空の目から雨粒がこぼれ落ち始めた。 私はふと、あの映画── 『ショーシャンクの空に』 を思い出していた。 雨を両腕で抱く、あの解放の瞬間。 涙と汗と雨が区別なく頬を這う 救済の場面。 一度でいい。 あれほどまでに、思いきり雨を 真正面から浴びてみたい── と、そう思った。 けれど、すぐに苦い悟りが襲う。 あの感動は、檻と鉄格子と絶望とを経ての 果ての果てにある。 自由を知らぬ者に、解放の歓喜は訪れまい。 無為に雨に濡れたところで ただの風邪をひくだけの話である。 そうして、我に返ったときには 私の目の前に ずぶ濡れのカメラマンが立っていた。 彼は黙々とシャッターを切っていた。 着ているレインコートは もはやただの濡れ雑巾と化し 水を弾く気配もない。 私は、思わず声をかけた。 「だ、大丈夫ですか?」 すると彼は、破顔一笑、天使もかくや というような屈託なき笑顔を向けてきた。 「普段から鍛えてますんで!」 何をどう鍛えているのか。 まさか、雨の中で毎朝 『一人ショーシャンクごっこ』 をしているのではなかろうか。 脳裏に 雨に打たれる彼の裸身が脳内再生され 私はそこで笑いをこらえるのに 必死になった。 撮影は、思いのほか楽しく終わった。 濡れ鼠の一行は あたかも戦から生還した騎士のように 満ち足りた面持ちで帰路についた。 ──帰宅して 写真データの総量を確認したら なんと五百枚。 私は一瞬で顔を歪め、天を仰いだ。 これを選定するのか。 これを……。 けれど、私は彼のことを思い出した。 雨にも笑顔を絶やさず まるで空の涙さえ 肯定するようなあの人の姿。 写真と向き合う背中に、ほんの少しだけ 気概のようなものが宿った気がした。 私も、彼のように鍛えていかねばならぬ── そう、人生のシャッターはいつでも 雨のなかで切られるものなのだから。 …とは言え、風邪をひいてまで 『一人ショーシャンク』 に励むつもりはない。 私はそれほど、自由に飢えていない。 今のところは、まだ。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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Blog@arabian怒声の向こうの春――冬のような声しか知らなかった人が 涙を流すとき 私はほんの少しだけ春を信じた。 なんだか郷愁に耽ってしまったので 前回に引き続き音響時代の思い出を もう一声、綴ることにする。 その職場には、春が来なかった。 いや、来てはいたのだろう。 だがそれは 石造りの倉庫の裏に咲くスミレのように 誰にも気づかれぬかたちでひっそりと咲いて やがて風に吹かれて散っていく ――そんな類の春であった。 音響という名の、男ばかりの荒れ地。 その中に、私と、もう一人の女の子がいた。 同期だった。 まるで荒波に浮かぶ 二艘の小舟のような存在だった。 帆も舵も持たぬまま ただ嵐をやりすごすために 時には手を取り、時には押し合って 何とか波の上に浮いていた。 最初の頃は酷かった。 どの音も割れて聴こえるような怒号の嵐。 配線ミスどころの話ではない 私自身の存在そのものが 誤接続であるかのように思われた。 それでも、彼女と一緒だったから なんとか耐えた。 彼女の手元から漏れる笑い声や わずかな囁きは、あたかも チューニングの合ったモニター音のように 私の心に小さな平衡をもたらしてくれた。 「お菓子配ろうか」と、彼女が言った。 「話しかけてみようか」と、私が言った。 それは、孤島で狼煙を上げるような 生存戦略だった。 言葉も、微笑みも すべては点滅する信号だった。 ――生きてます、と。 そんなある日、彼女がぽつりと呟いた。 「今度、先輩の誕生日、やってみない?」 言い出しっぺは彼女だったが 私は即座に賛同……できなかった。 その先輩は、普段から 雷鳴のような怒号を響かせる人だった。 仕事に一分の隙も許さず ミスひとつで周囲の空気を凍らせる。 そんな人に、ケーキなど渡してよいものか。 笑われるのではないか。 いや、もっと厄介なことになるのでは。 そんな躊躇が 喉にひっかかったささくれのように しばらく抜けなかった。 けれど彼女は言った。 「そういう人だからこそ 嬉しいと思うんじゃないかな」 ――私は、うなずいた。 たとえ滑稽な結果に終わっても 灯りを灯そうとしたことは 無駄にはならないような気がした。 近くのケーキ屋で チョコレートケーキを予約した。 会社の会議室にロウソクを立て スピーカーに音楽を流し 同じく無愛想な先輩たちを ひとりずつ巻き込んで サプライズの用意をした。 本番、音を鳴らしながら、私たちは歌った。 𝙷𝚊𝚙𝚙𝚢 𝙱𝚒𝚛𝚝𝚑𝚍𝚊𝚢 𝚝𝚘 𝚢𝚘𝚞—— その先輩は、目元を拭いながら笑った。 あんな風に笑う人だったんだ、と思った。 きっと、私たちの知らない 過去や哀しみや苦労が この場のどこかに混じっていたのだろう。 誕生日というのは、祝われる人よりも 祝う側の救いなのかもしれない。 バースデーが、私は好きだ。 それはちょうど よく調律された一音のように 小さく、確かに誰かの胸に響くからだ。 それは派手な演出ではなかった。 誰かの生まれた日を ただ思い出してあげる。 それだけのことが どれほどの慰めになるのかを 私たちはあの日、知った。 そして私は思う。 私が配線できなかったもの。 それは、あの時の涙にこそ 通っていたのではなかったかと。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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