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Blog@arabianモリーの喫茶店喫茶店の隅に座り、紅茶を一口含むたび、 私は必ずモリーを思い出してしまう。 あの時代の、 あの空気のことを。 私は、幼い頃から英会話教室に通っていた。 小中学校の頃は、 毎週通う教室があったが、 どうしても教室を 借りるスペースが足りない時には、 モリーの家で開かれることがあった。 あの家。 モリーという女性は、まるで イギリスに取り憑かれたような人だった。 それは苗字が森というだけで、 モリーと名乗って 憚らない事柄からしても顕著だ。 彼女の家は、まるで一歩踏み入れるだけで 異国の空気に包まれた。 カーテンは 花弁が舞い散るようなデザインで、 壁に掛けられたタペストリーには 動物たちが遊ぶ様子が描かれていた。 その家の調度品の一つ一つがイギリス製で、 まるで一瞬、心の殻が突き破られて 英国が浸水してくるかのようだった。 モリーの家に足を踏み入れると、 必ず、喫茶の時間が待っていた。 お菓子に紅茶。 何度も何度も、その紅茶を飲みながら、 私はモリーの家で 過ごす時間を楽しんでいた。 お砂糖は、ヤンチャを過ぎたのか、 何とも言えぬ丸みを帯びた角砂糖で、 甘さが自然と優雅であり、 ミルクの代わりに添えられた生クリームが、 その味を一層豊かにしていた。 あれは、まさにカロリーの爆弾。 しかし、それもまた幸せだった。 その香りは、カンタベリー大聖堂の 豊饒なバロック様式を思わせた。 味わいは、ステンドグラスを通して 荘厳なチャペルに注ぎ込み広がる 白い線が祝福をもたらすかのように、 私の中に染み渡った。 それはまるで、 モリーから紅茶を通して受ける 洗礼であった。 歳月が流れ、大人になった私は、 様々な紅茶を味わうことがあった。 隠れた純喫茶、名店と呼ばれるところ、 高級ホテルのアフタヌーンティー。 しかし、どれを飲んでも、 あのモリーが淹れてくれた紅茶の影を、 今でも越えることができない。 それはどうしてだろうか。 ティーカップに口をつける度、 モリーの顔が浮かぶ。 きつめに角度をつけた細い黒縁眼鏡をかけ、 ブラウンの短い髪を、 いつも後ろできちんと束ねていた。 その顔を思い浮かべるたび、 私の心には、確かな安堵と安心が訪れた。 モリーは、いつも微笑みながら 優しい声で話してくれた。 その声もまた、私の心を和ませた。 あの紅茶には、 モリーその人の心が 込められていたのかもしれない。 彼女のやさしさ、 温かさ、 そして安らぎが、 あの紅茶の中に流れ込んでいたのだろうか。 だからこそ、 今でもあの味を越えるものに 出会うことがないのかもしれない。 考えると、むしろこの想いが消えない限り、 他の紅茶に出会う必要などないのだと、 私はふと思ってしまう。 私は今日も紅茶に口を付ける。 そしていつものように、 「やはり、モリーのよりも美味しくないな。」 そう心に呟きながら、 どこか満足げに 口角を緩ませるのだった。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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Blog@arabian親切の味コーヒーはまだ半分以上残っていた。 朝に買ったスタバのベンティ。 どういうわけか、 終日持ち歩いたにも関わらず飲みきれず、 夜も更けた終電に揺られながら、 まだ半分近く残っている これに口をつける始末である。 もはや意地で持ち歩いている と言ってもいい。 運よく座れた向かいの座席には、 二人組のサラリーマン。 煮えきらぬ海老というのは 存外に食あたりを起こしやすいと聞くが、 その程度の赤ら顔である。 おそらく飲み会の帰りであろう。 新入社員らしき若者二人は、 こぞって上司の愚痴で妙に結束し、 盛り上がっている。 なるほど。 他人の愚痴というものは、 接点がないからこそ 噛みごたえがあるのかもしれない。 私はひとりで、そんなことを考えていた。 「おい、おい、あれ零れるって! 零れちゃうって!」 突然、海老蔵たちが私の方を見ながら、 そんなことを唱えだした。 ふと二人の目線の先を見やると、 ベンティが45度以上に傾いていた。 確かに、これは危ない。 彼らの言い様からすると、 まるで中にニトログリセリンでも 詰まっているのかという体だが、 コーヒーが零れた衣類というものも、 膠着を余儀なくされる塹壕戦にて、 匍匐前進でジワジワと迫りくる 敵兵程度には嫌らしく面倒なものである。 しかし彼らの話声は、 アルコールも手伝ってか、 本人たちはコソコソ話のつもりが、 だんだんドヤドヤ囃子へ。 今や、車内の喧騒を一手に買って出ている。 囃子たてるくせに電車に担がれている 彼らはただただ喧しかった。 ともあれ、これは良心。 彼らは親切心で言っているのだ。 私の服にコーヒーがかかるのを暗に、 というかもはや 大っぴらに宣伝して 恥をかかそうという魂胆との 区別もつかなくなってはいるが、 ジャパニーズカインドネスなのだ。 これ以上、どこの馬の骨、 いや海老の殻ともわからない、 すっかり活気づいた赤提灯に 心配をかけるわけにはいかない。 私は一旦、 スマホを弄る手を止めると、 ベンティに口をつけ、 おもむろに一気に飲み干した。 コーヒーというものは、 一時に大量に口に含むと、 これほどまでに苦かったのか。 毎日傍らに置いている相棒の、 意外な攻撃性を垣間見て、 やけに舌が痺れた。 傍観者の心配とは、この苦みに似ているな。 実に剣呑な味わいである。 茹で過ぎた海老が いよいよ形を崩してきそうなところで、 私はカップを空にした。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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