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Blog@arabian蹴りたいサドルこれを駆って もうどれくらいになるだろうか。 我が愛馬、名を「ブケファラス」という。 見かけはただのママチャリに過ぎぬが、 六段階の変速機を備えたその仕様は、 凡百の同類を軽く凌駕する。 駆ければ、風を切り、 音を置き去りにするかのごとき勢いである。 その名を冠するに恥じぬ、 かのアレクサンドロス大王の駿馬にも 比肩し得る働きを見せるはずであった。 さて、久方ぶりに この愛馬を遠乗りに誘ってみることとする。 近頃は近所の買い物にしか使わぬため、 いささか錆びついてはおるまいかと思えば、 気の毒にもなる。されば、広き道を走り、 多くの騎馬を追い抜きながら、 こやつの鬱屈した鬣を 風にさらしてやるのも、一興であろう。 かくして、私は確固たる野心と共に、 意気揚々とこの愛馬を駆る。 されど、予期せぬ事態がすぐに露見した。 まずもって、 壮年の男が乗る如何にも 年季の入った自転車が、 何食わぬ顔で私を追い抜いた。 次に、義務教育すら終えていないような 童子が駆る車輪が、 軽やかに前方へと消え去る。 無論、ロードバイクには 歯が立たぬことは承知していたが、 それのみならず、 買い物かごから青々とした葱 突き出させたママチャリにすら 置き去りにされる始末である。 私はブケファラスの 手綱ならぬハンドルを 握る手の震えを感じた。 それは我が身の恥辱による震えであったか、 あるいはブケファラスの慚愧が 私へと伝播したものか、判然としない。 己が心中において 大見得を切ったにもかかわらず、 この体たらくは如何ともしがたい。 何をもってしても納得できぬ。 されば、もはやペダルを漕ぐことすら 怠慢の彼方に追いやった自転車が、 まるで風に乗るがごとく 私を追い越していくに至っては、 もはや言語道断である。 私は心の中で密かに中指を立て、 憤然として叫んだ。 「畜生め!電動とは卑怯なり!」 ふと、幼少の頃に親しんだ 水戸黄門の主題歌が脳裏をよぎる。 「後から来たのに追い越され、 泣くのが嫌なら、さあ、歩け。」 果たして、あの歌詞に登場する者は、 その後己の誇りを取り戻したのであろうか。 泣くのが嫌で歩き続けたとて、 果たしてそれが正解であったのか。 泣くのならば、いっそその場でうずくまり、 己が無念を存分に味わった方が 良かったのではあるまいか。 そんなことを考えながら帰路についた。 ブケファラスは、 どことなく肩を落としたように見えた。 「私は、さあ歩け、なんて言わないからね。 思いっきりショゲていいんだよ。」 そう言い聞かせるように、 そっとハンドルを撫でた。 気のせいか、 ブケファラスのハンドルのグリップが、 行きよりも心なしか、 U字型になっていた気がした。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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Blog@arabian鍵の放浪癖私はたびたび家に帰れなくなる。 私自身ではない。鍵が、である。 この手癖の悪い小さな金属の束は、 しばしば私の懐から姿を消し、 自由気ままに放浪の旅に出る。 つい先日も、 深夜、帰宅した瞬間に気がついた。 ない。 あの馬鹿がまた家出をした。 オートロックの前で私はひとり、 身動きの取れぬ囚人と化し、 ついにはドアを睨みつけたまま 夜が明けるのではないかとすら思った。 だが、こんなことは 今に始まったことではない。 私は昔から、鍵に見捨てられ続けてきた。 しかし、かつてはもう少し、 家というものが優しかった。 実家は古い家だった。 鍵などなくても、 工夫次第でどうにでもなる家だった。 学校から帰った私は、 そこで初めて鍵がないことに気づく。 ああ、またやってしまった。 だが、今日に限っては困る。 友達と遊ぶ約束があるのだ。 時間がない。 しかし、私はすぐに思い至った。 方法ならある。 私は、何度もそれを試し、 そして成功していたのだ。 私は家の裏へと回った。 そこにはビジネスビルの駐車場があり、 私の家とは、わずか四尺ほどの金網で 隔てられているだけだった。 私はその金網に張り付き、 一瞬で登りきると、屋根へ飛び乗った。 その瞬間、乾いた音が響いた。 瓦が、一枚、砕けたのだ。 気難しい陶芸家が、 自らの作品を叩き割るかのような音だった。 私は瞬時に罪悪感に襲われる。 だが、幸いにも誰にも見られてはいない。 ならば、これは犯罪ではない。 人に気づかれぬかぎり、 それは罪ではないのだ。 私は屋根の上で四つ足になった。 忍者だ、いや、スパイダーマンだ。 私は蜘蛛男よろしく這いながら 家の側面へと進んでいく。 そして屋根裏部屋の格子戸の下に、 お風呂場の小窓を見つけた。 幸い、開いている。 私はゆっくりと格子を掴み、体を沈め、 慎重に浴室へと滑り込んだ。 そして、ついに帰還を果たした。 夕食時、母が唐突に言った。 「……あんた、 今日、屋根の上で何してたの?」 「え?」 「お隣の〇〇さんが、 あんたが屋根で遊んでたって」 完全に油断していた。 私は確かに、 誰にも見られていないと思っていた。 しかし、ご近所の監視の目を甘く見ていた。 彼らは静かに、完璧に気配を消し、 すべてを見ているのだ。忍者が如く。 私は弁解を試みた。 「SASUKEに出るための練習だったんだ!」 だが、母はそれを取り合わず、 私は深夜まで 反省文を書かされる羽目となった。 あれからずいぶんと年月が経った。 SASUKEを見るたびに、私は思い出す。 あの日、私が越えられなかった 反り立つ壁のことを。 あの壁はもう無くなってしまったことを。 そして今も、 私の目の前には相変わらず壁がある。 今度こそ、 私は向こう側へ行かねばならない。 壁が消える前に。 鍵の放浪癖が抜ける前に。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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