モンゴリマッコリ
幼少時代、半ば無理やりに
習い事で水泳をやらされた。
これは虐待ではない。
むしろ、
最低限水泳というものの心得がなければ、
有事の際に生き残れないであろうという
原始的な考案でもって
私の生存確率を危惧した心遣いには、
我が親ながら恐れ入る。
養育初期段階にして、
既に弱肉強食に対する備えまで
視野に入れているとは、
頭が下がるばかりである。
かくして私は、
学童集う水泳教室に毎週通いつつ、
たまに腹痛を装ってサボリつつ、
幼稚園から小学校低学年になるまで、
2、3年間ほど地道に通い続けた。
辞めた理由はよく覚えていないが、
定期的に腹痛を起こすことに
低体温症の可能性を懸念した
両親の計らいであろうか。
であるならばしてやったりと
いいたいところであるが、
できれば私は幼年期から
そこまで卑怯者でいたとは
思いたくないものだ。
そんなことでは小学校の渾名が
「フジキくん」になっていただろう。
かくしてそんな程度しか
通った経験のないものだから、
別段、抜きんでて
水泳が上達したわけでもないのであるが、
それでも、
正しいと謂われるフォームでもって、
それなりの距離を遊泳できることは、
数少ない私の特技となった。
ただし、これができたところで、
これを披露する場をなければ、
水泳に頼る窮地に陥る機会もなく、
よしんばそのような厄災に陥ったとて、
この程度の技量でもって
火事場を凌げるかもしれないなど
という見込みは、
ツチノコを皿の上に乗せた河童が
河川敷で発見される可能性と
同程度に儚いものである。
私はその際、
ただ弱肉強食の渦に呑み込まれるがままに
臥すこととなるだろう。
そんな私にも、
このスキルを披露する舞台が、
人生でただの一度だけ訪れた。
それは水泳の授業でのこと。
本人は全く気にしていないが、
いつも股間のモッコリが
全生徒気になっていて、
陰で教え子に「モンゴリマッコリ」
なる不名誉な渾名を付けられていた、
我がクラス担当の筋肉系体育教師が言った。
「正しいフォームが大事だからな!
アカリ!お手本を見せてあげなさい!」
瞬間、
今まで闇の中を手探りで生きてきた私は、
突然浴びせられた
強烈なスポットライトに目が眩んだ。
周囲の色彩が歪み、
鼓動は出鱈目に高鳴り、
突如として生々しい「生」の実感を
喉元に突き付けられた私の呼吸は、
エベレスト山頂付近で遭難して
救助を待つ登山者並みに浅くなっていた。
世には心乱れし時、
それを落ち着けるラマーズ法なる
奥秘が存在すると聞いていた。
今すぐ助産婦が必要だと思った。
皆の視線を一身に浴びる中、
初めてのプールサイドという名の
ランウェイを、
震える足で歩、一歩ずつ歩いた。
着水。そして、壁を蹴って蹴伸び。
落ち着いて、慣れたタイミングで、
お得意の平泳ぎに移行。
その形を披露する。
思ったよりもだいぶ、スムーズだった。
伸びやかなフォームチェンジであった。
幼少期に沁みついた動きは
そう簡単に私を
裏切らないでいてくれたのだ。
ありがとう生存戦略。
ありがとう我が両親。
10m程、泳いだだろうか。
頭上にポツリと拍手が起こった。
モンゴリマッコリだ。
そしてモンゴリに続き、
他の生徒も続いて拍手をした。
ポツリ、ポツリと
波紋のように広がっていった拍手は、
最終的に大きな輪となり、
その音の塊は、
スコールのように激しく私の全身を覆った。
私が広がっていくような、
甘美な愉悦。
2、3年通ったのみで、すっかり
冷え切ってしまっていた私のお腹は、
サボリのために
腹痛を訴えることもできないくらい、
確かな熱を取り戻し、
透き通るような温かみを感じていた。
🍎アカリ🍎
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