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Blog@arabian
津軽への道ロシアの北部では、 二階の窓から水を撒くと、 地面に着く前に凍りつくという。 動画で見た。ひゅう、と風が鳴る。 恐ろしくなって、 思わず携帯を握る手が震えた。 このような世界に生きる人々と、 果たして私が、 同じ霊長類に属しているなどと言えるのか。 私は寒さに脆弱な人間である。 ロシア人は、きっと違う生き物だ。 冬になると、私はエゾモモンガに擬態する。 防寒のためである。 厚手のトレーナーに、 モコモコのパーカー、 さらにオーバーサイズの ジャケットを羽織る。 そこへ大判のマフラーを ぐるぐる巻きにして、 極めつけは頭部をすっぽりと覆う防寒帽。 かくして、私の姿は エゾモモンガそのものとなる。 だが、それでも寒い。 どれほど着込んでも、 関節の隙間から忍び込んでくる 冷気には抗えない。 もう衣服に頼るのは限界である。 最後の手段として、私は化学の力を借りる。 酸化鉄の発熱反応、 すなわちホッカイロの登場である。 背骨に沿って三枚、腹部に一枚。 こうして私はようやく冬と対等に立つ。 都会の冷たさは、 大量のホッカイロと共に乗り切れる。 人の温もりなどなくとも、 生きていけるのだ。 そう思っていた。 だが、東京の最低気温を調べてみると、 せいぜい零度程度ではないか。 ちょっと待ってほしい。 私はもう、ロシア人を 同じ霊長類と思ってはいない。 それどころか、 彼らと肩を並べることすら恐れ多い。 けれども、日本にもいるのだ。 ロシアの寒さに肩を並べるような人々が。 東北の冬を見よ。 仙台はマイナス十度にもなるという。 津軽に至っては、どれほどの寒さだろう。 考えただけで震えが止まらない。 もし私が迂闊に旅に出て、 囲炉裏があるから 大丈夫だろうなどと高を括り、 電気もガスもない古びた民宿を借り、 薪も火種もなく、夜を迎えたなら、 翌朝には間違いなく凍死している。 常識外れの数ホッカイロを貼ろうと、 尋常ならざる量 ヒートテックを重ね着しようと、 そんなものは東北の冬には無力であろう。 そして、わざわざ東京の荷物を 見せびらかしにだけやってきて 没した変人として語り継がれるのだ。 そうか、私は太宰治の故郷を 巡ることすらできぬのだ。 仕方がない。 今夜はせめて「津軽」を 枕元に置いて寝ることにしよう。 もしも、気温を凌駕するほどの熱が 私の心に灯り、 旅路を決意する日が訪れたなら、 そのときは出立の前に必ず「晩年」 と題する本を一冊 書き残していくことにしよう。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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Blog@arabian
モリーの喫茶店喫茶店の隅に座り、紅茶を一口含むたび、 私は必ずモリーを思い出してしまう。 あの時代の、 あの空気のことを。 私は、幼い頃から英会話教室に通っていた。 小中学校の頃は、 毎週通う教室があったが、 どうしても教室を 借りるスペースが足りない時には、 モリーの家で開かれることがあった。 あの家。 モリーという女性は、まるで イギリスに取り憑かれたような人だった。 それは苗字が森というだけで、 モリーと名乗って 憚らない事柄からしても顕著だ。 彼女の家は、まるで一歩踏み入れるだけで 異国の空気に包まれた。 カーテンは 花弁が舞い散るようなデザインで、 壁に掛けられたタペストリーには 動物たちが遊ぶ様子が描かれていた。 その家の調度品の一つ一つがイギリス製で、 まるで一瞬、心の殻が突き破られて 英国が浸水してくるかのようだった。 モリーの家に足を踏み入れると、 必ず、喫茶の時間が待っていた。 お菓子に紅茶。 何度も何度も、その紅茶を飲みながら、 私はモリーの家で 過ごす時間を楽しんでいた。 お砂糖は、ヤンチャを過ぎたのか、 何とも言えぬ丸みを帯びた角砂糖で、 甘さが自然と優雅であり、 ミルクの代わりに添えられた生クリームが、 その味を一層豊かにしていた。 あれは、まさにカロリーの爆弾。 しかし、それもまた幸せだった。 その香りは、カンタベリー大聖堂の 豊饒なバロック様式を思わせた。 味わいは、ステンドグラスを通して 荘厳なチャペルに注ぎ込み広がる 白い線が祝福をもたらすかのように、 私の中に染み渡った。 それはまるで、 モリーから紅茶を通して受ける 洗礼であった。 歳月が流れ、大人になった私は、 様々な紅茶を味わうことがあった。 隠れた純喫茶、名店と呼ばれるところ、 高級ホテルのアフタヌーンティー。 しかし、どれを飲んでも、 あのモリーが淹れてくれた紅茶の影を、 今でも越えることができない。 それはどうしてだろうか。 ティーカップに口をつける度、 モリーの顔が浮かぶ。 きつめに角度をつけた細い黒縁眼鏡をかけ、 ブラウンの短い髪を、 いつも後ろできちんと束ねていた。 その顔を思い浮かべるたび、 私の心には、確かな安堵と安心が訪れた。 モリーは、いつも微笑みながら 優しい声で話してくれた。 その声もまた、私の心を和ませた。 あの紅茶には、 モリーその人の心が 込められていたのかもしれない。 彼女のやさしさ、 温かさ、 そして安らぎが、 あの紅茶の中に流れ込んでいたのだろうか。 だからこそ、 今でもあの味を越えるものに 出会うことがないのかもしれない。 考えると、むしろこの想いが消えない限り、 他の紅茶に出会う必要などないのだと、 私はふと思ってしまう。 私は今日も紅茶に口を付ける。 そしていつものように、 「やはり、モリーのよりも美味しくないな。」 そう心に呟きながら、 どこか満足げに 口角を緩ませるのだった。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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