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Blog@arabian親切の味コーヒーはまだ半分以上残っていた。 朝に買ったスタバのベンティ。 どういうわけか、 終日持ち歩いたにも関わらず飲みきれず、 夜も更けた終電に揺られながら、 まだ半分近く残っている これに口をつける始末である。 もはや意地で持ち歩いている と言ってもいい。 運よく座れた向かいの座席には、 二人組のサラリーマン。 煮えきらぬ海老というのは 存外に食あたりを起こしやすいと聞くが、 その程度の赤ら顔である。 おそらく飲み会の帰りであろう。 新入社員らしき若者二人は、 こぞって上司の愚痴で妙に結束し、 盛り上がっている。 なるほど。 他人の愚痴というものは、 接点がないからこそ 噛みごたえがあるのかもしれない。 私はひとりで、そんなことを考えていた。 「おい、おい、あれ零れるって! 零れちゃうって!」 突然、海老蔵たちが私の方を見ながら、 そんなことを唱えだした。 ふと二人の目線の先を見やると、 ベンティが45度以上に傾いていた。 確かに、これは危ない。 彼らの言い様からすると、 まるで中にニトログリセリンでも 詰まっているのかという体だが、 コーヒーが零れた衣類というものも、 膠着を余儀なくされる塹壕戦にて、 匍匐前進でジワジワと迫りくる 敵兵程度には嫌らしく面倒なものである。 しかし彼らの話声は、 アルコールも手伝ってか、 本人たちはコソコソ話のつもりが、 だんだんドヤドヤ囃子へ。 今や、車内の喧騒を一手に買って出ている。 囃子たてるくせに電車に担がれている 彼らはただただ喧しかった。 ともあれ、これは良心。 彼らは親切心で言っているのだ。 私の服にコーヒーがかかるのを暗に、 というかもはや 大っぴらに宣伝して 恥をかかそうという魂胆との 区別もつかなくなってはいるが、 ジャパニーズカインドネスなのだ。 これ以上、どこの馬の骨、 いや海老の殻ともわからない、 すっかり活気づいた赤提灯に 心配をかけるわけにはいかない。 私は一旦、 スマホを弄る手を止めると、 ベンティに口をつけ、 おもむろに一気に飲み干した。 コーヒーというものは、 一時に大量に口に含むと、 これほどまでに苦かったのか。 毎日傍らに置いている相棒の、 意外な攻撃性を垣間見て、 やけに舌が痺れた。 傍観者の心配とは、この苦みに似ているな。 実に剣呑な味わいである。 茹で過ぎた海老が いよいよ形を崩してきそうなところで、 私はカップを空にした。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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Blog@arabian猫とカーテン実家の猫に嫌われている。 ただ嫌われると言っても、 その様子が尋常ではない。 親の仇にさえ、 これほどの憎悪を 向けるものかと思うほどである。 なるほど、私は滅多に帰省せぬし、 母ほど丹念に世話を焼くわけでもない。 けれども私は帰省のたびに、 ありったけの愛情を注ぎ、 その毛並みを撫で、抱きしめ、 存分に愛でているのだ。 それに対する返礼が、 鋭き爪による一閃であるのは、 果たして道理に適うものだろうか。 時には牙まで剥き、 私の指に食らいつかんとする。 思案の末、ふと考えた。 これは何かの輪廻の因果ではあるまいか。 古き私よ、 猫の集落を焼いたことがあるか。 あるいは、 猫又を退治してまわったことはないか。 前世において、 私は罪深き所業をなしたのではあるまいか。 もしや、転生した猫が 私を恨んでいるのではないか。 ならば私はユダで、彼はキリストか。 否、キリストならば赦すはずだ。 では、彼は平将門公で、 私は源氏の末裔か。 否、左様なれば我が親族達は こぞって鼻を伸ばし「我源氏也」を吹聴し 家系図をご近所に ひけらかして回っているはずだ。 それとも、 彼はヒトラーで、私はチャーチルか。 ならば、なんとか鉄のカーテンでもって、 彼の斬撃牙突から身を守れはしないものか。 そう言えば、 この猫の振る舞いは まさに独裁者のそれであった。 気に入らぬことがあれば すぐさま制裁を加え、 食を求める時ばかりは甘言を弄する。 高らかに演説をぶつものの、 ミャーミャーとしか聞こえぬため、 その声は我が耳に届かぬ。 結局、訴える内容は ただの餌の無心に過ぎぬのだから、 誠に浅ましい。 ところが、先日の帰省時、 驚くべきことが起こった。 ソファに腰掛けていた私の傍に、 その猫が擦り寄り、 ゴロゴロと喉を鳴らして 甘えてきたのである。 ははぁ、これはとうとう敗戦を悟ったか。 もはや鉄のカーテンを下ろして 抗う必要もあるまい。 独裁者たるもの、 長く現世にとどまることは叶わぬのだ。 しかし、こうして我が闘争が幕を閉じ、 冷戦が終わり、時代が変われども、 現実世界では尚、 世界の様々で、 多種多様なカーテンが 依然として幅を利かせている。 多様性の時代と謳われながら、 人々は立ちはだかるカーテンに怯え、 光を求めて、外界と己とを遮るこれを、 迂闊に捲って、 自然の在り様に浸ることすら 容易には許されない。 いつか、風が自由に飛び駆け回る オープンテラスにて、 猫殿下と戯れたいものである。 雲が太陽を隠してしまう前に。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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