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猫舌の夏 【中】そして一週間後。 さてそろそろ懲りたかしら? そろそろ味海苔が欲しくて舌が疼いて 堪え切れなくなったころであろうて。 私は厭世を装って その実、カズチーの贅沢な舌が 美食の催促に耐えられなくなる頃合いを 暗に待ち伏せていたのだ。 と、このようにお伝えすれば 「齢僅かにして、なんと辛抱強い策士か!」 など感嘆の声を漏らすお方も 大いにあることでございましょう。 ただ、何のことはない。 暇を持て余していた休日の矢先に 久々に海苔でもやろうかと 思い出しただけのことである。 しかし、絶交したはずの絆が 期せずして回復したとなれば さしもの畜生も少しは 心動かすに違いあるまい。 私はほくそ笑んで カズチーの食卓に近付いた。 ところが彼、何やら満足げに 皿をペロペロと舐めている。 ああ、可哀想なカズチー。 求めれど得られぬばかりに 彼はついに皿の上に幻覚など見て プラスチックの上に舌を這わせて 夢を舐めているのだ。 私は思った以上に罪深いことを してしまったのかもしれない。 あいや、待たれよ。 よくよく見れば何やら怪しきこの様子。 彼の舌は真っ白に染まり、皿には怪しげな 白いものが薄く広がっているのだ。 なんということであろうか。 一体誰がこんな酷いことを。 「カズチー!やめなさい! いつからこんなものに手を出して…」 私は皿を取り上げて キッチンテーブルの上に退避させた。 すると、キッチンの奥から母が現れた。 「あらあら、何をするの。可哀想に。 せっかく美味しかったのにねぇ」 「お母さん!猫をシャブ漬けになんかして! 一体何を企んでるの!?」 「あんた、どこでそんな言葉覚えたの? 嫌ねぇ。これはヨーグルトじゃないの」 母は右手でカズチーを抱き上げ 左手に皿を取って掲げた。 「ほら、こんなに美味しそうに食べるのよ」 「ヨーグルト? ヨーグルトですって?まあいいわ。 百歩譲ってヨーグルトだとして… 猫にヨーグルトなんて、勿体ない! いや、お腹壊すでしょうが!」 「ちょっとだけなら大丈夫よぉ」 「大丈夫じゃないわよ! そもそも私のおやつなのに! 他にも何か変な物 あげてるんじゃないでしょうね!?」 「そういえばこの子、椎茸も大好物なのよぉ」 「椎茸!?マジックマッシュルーム じゃないでしょうね!?」 「あんたねぇ、さっきから親を闇市みたいに」 「椎茸でも、消化に悪いでしょうが! それに、寒月くんみたいに 前歯が欠けたらどうするの!?」 「寒月くん?」 「『吾輩は猫である』に出てくる 理学者でしょうが! お母さんの部屋にあったんでしょうが!」 「ああ、あれは読む暇がなくってねぇ。 あんた読んだの?」 「二か月かかったわ!」 「あら、ご苦労だったねぇ。 結局どういう話だったの?あれ」 「猫が酔っぱらって水瓶に落ちて 溺れて昇天したわよ!」 「まあ嫌だ。怖い怖い。 ねぇカズチー。お姉ちゃん怖いねぇ」 カズチーは母の手の皿から ヨーグルトを卑しく舐めとりながら ふと私の方を見やる。 その眼には、勝利と侮蔑の感が 入り混じって映って見えた。 こん畜生め。 かつての大恩を露と忘れ あまつさえかくも軽々しく 母の傀儡に成り下がるとは。 何たる薄情者か。 こういうヤツがいるから 関ケ原で西軍が負けたんだ。 大体、西軍の大将は石田三成じゃないよ。 毛利輝元だよ。 変に蘊蓄を思い出しつつ 私はカズチーとの決別を決意した。 もうこんな猫とは絶交だ。 猫可愛がりの母とよろしくやってろい。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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父たちの肖像【下】友人のクロ子は離島の生まれであった。 その島は人口数十人程度の小さな島で 島民全員が顔見知り。 そこでクロ子の父 クロ吉は武術の師範をやっていた。 島民はみんな 質実剛健で男らしいクロ吉に 一目置いていた。 クロ子も「男に二言はない」 というような父を尊敬していた。 人望の厚いクロ吉は 津波対策組合の副長もやっていた。 なにせ小さな島なものだから すぐ波に呑まれてしまう。 少しでも強い波が来たら 組合から島に設置されたスピーカーを通して 避難勧告が出されるようになっていた。 ある日、いつもよりも 大波がくるということで クロ子たちは母親と共に 家に戸を立てて籠っていた。 すると、異変に気が付いた。 「そういえばお父さん、いなくない?」 そんな馬鹿な。 しかし、家のどこを探してもいない。 今日は組合にも行ってないはず。 え?まさか… 気付けば、クロ吉愛用の サーフボードもない。 そう、クロ吉はサーフィンが趣味なのだ。 そういえば最近、クロ吉が 「最近、いい波が来ない」と嘆いていた。 「次にでかい波が来たら、俺は必ず乗る」 …そう呟いていたことも、ふと思い出す。 しばらくすると 島にスピーカーの爆音が響き渡った。 「クロ田クロ吉!何をやっている! ただちに避難しなさい!クロ田クロ吉! 即刻!家に帰りなさい!クロ田クロ吉! 何をするつもりだ! なんでサーフボードなんか持っている! おい!馬鹿なことは辞めなさい! クロ田クロ吉!早まるのはやめなさい! クロ田クロ吉!聞いているのか! やめろ!早く帰れ!クロ田クロ吉…」 かつてないほどに父の名が 島中に向けて連呼されるのを、クロ子は わけのわからない気持ちで聞いていた。 組合長が組合の副長に 呼びかける例としても 些か滑稽が過ぎるのではなかろうか。 しばらくしてクロ吉が帰って来た。 何事もなかったかのように サーフボードを定位置に置いたクロ吉は プリントを広げ 机に向かって書き物をしだした。 ちゃぶ台で学校の宿題をしていたクロ子は 珍しく真面目に書をしたためている 父をみやり、我が父ながら 文武両道とは誇らしい、と思った。 するとクロ吉がクロ子の方をちらと見た。 「クロ子。偉いな。学校の宿題か」 「うん」 「奇遇だな。父さんも今、宿題中だ」 クロ吉の手元のプリントには 『反省文』と印字してあった。 「私、島で育ったから こんなの当たり前だと思ってて。 でもこの話する度にみんなが笑うから あれ?うちのお父さんって おかしいのかな?って」 「それは想像以上に面白いお父さんですね!」 運転手は運転より話に夢中になっていた。 私は初めて聞く話ではないから耐えられるが たびたび堪え切れずに爆笑して 前方不注意になるのだけは 避けていただきたかった。 「本土に来るまで わかんなかったんですよね。 マジで異文化コミュニケーションですよ」 愛する妻子を糧に 迸る家族愛を後部座席にまで お裾分けしながら走る、運転手の父。 組合の副長でありながら 組合長の注意を無視して 大波に挑もうとした、クロ子の父。 寡黙で優しくて 性癖を隠し通せない程に 不器用なまま突然消えてしまった、私の父。 家族という括りの中で こんなにも三者三様の 『父親』の姿のあることが 私はなんだか感慨深かった。 父が子に向ける愛情の形もバラバラで それは不器用だったり、滑稽だったり 割と洒落にならなかったりするけど なんだかんだで 子供はずっとそれを受け取って 今日まで生きているんだな。 あの日の父の背中が タクシーの窓ガラスに映った気がした。 その透かしの向こうには 下校途中の女子高生の群れがいた。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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