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Blog@arabian猫とカーテン実家の猫に嫌われている。 ただ嫌われると言っても、 その様子が尋常ではない。 親の仇にさえ、 これほどの憎悪を 向けるものかと思うほどである。 なるほど、私は滅多に帰省せぬし、 母ほど丹念に世話を焼くわけでもない。 けれども私は帰省のたびに、 ありったけの愛情を注ぎ、 その毛並みを撫で、抱きしめ、 存分に愛でているのだ。 それに対する返礼が、 鋭き爪による一閃であるのは、 果たして道理に適うものだろうか。 時には牙まで剥き、 私の指に食らいつかんとする。 思案の末、ふと考えた。 これは何かの輪廻の因果ではあるまいか。 古き私よ、 猫の集落を焼いたことがあるか。 あるいは、 猫又を退治してまわったことはないか。 前世において、 私は罪深き所業をなしたのではあるまいか。 もしや、転生した猫が 私を恨んでいるのではないか。 ならば私はユダで、彼はキリストか。 否、キリストならば赦すはずだ。 では、彼は平将門公で、 私は源氏の末裔か。 否、左様なれば我が親族達は こぞって鼻を伸ばし「我源氏也」を吹聴し 家系図をご近所に ひけらかして回っているはずだ。 それとも、 彼はヒトラーで、私はチャーチルか。 ならば、なんとか鉄のカーテンでもって、 彼の斬撃牙突から身を守れはしないものか。 そう言えば、 この猫の振る舞いは まさに独裁者のそれであった。 気に入らぬことがあれば すぐさま制裁を加え、 食を求める時ばかりは甘言を弄する。 高らかに演説をぶつものの、 ミャーミャーとしか聞こえぬため、 その声は我が耳に届かぬ。 結局、訴える内容は ただの餌の無心に過ぎぬのだから、 誠に浅ましい。 ところが、先日の帰省時、 驚くべきことが起こった。 ソファに腰掛けていた私の傍に、 その猫が擦り寄り、 ゴロゴロと喉を鳴らして 甘えてきたのである。 ははぁ、これはとうとう敗戦を悟ったか。 もはや鉄のカーテンを下ろして 抗う必要もあるまい。 独裁者たるもの、 長く現世にとどまることは叶わぬのだ。 しかし、こうして我が闘争が幕を閉じ、 冷戦が終わり、時代が変われども、 現実世界では尚、 世界の様々で、 多種多様なカーテンが 依然として幅を利かせている。 多様性の時代と謳われながら、 人々は立ちはだかるカーテンに怯え、 光を求めて、外界と己とを遮るこれを、 迂闊に捲って、 自然の在り様に浸ることすら 容易には許されない。 いつか、風が自由に飛び駆け回る オープンテラスにて、 猫殿下と戯れたいものである。 雲が太陽を隠してしまう前に。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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Blog@arabianみちくさ久々の池袋は相変わらず 緩やかに呼吸を繰り返している。 いつものように、 朋友との待ち合わせ時間に 30分以上先んじて 目的地への到達を達成してしまった私は、 これからの時間をどう溶かそうかと その調理法を逡巡した結果、 歩行者天国沿いの喫茶店に入った。 昼時だというのに 大して込み合ってもいない店内は、 東京の風情を薄れさせる 埼玉県民の植民地としての風体を 演出するに十分であった。 規則正しいマニュアル通りの クルーの動きを眺めながら、 自分は今、耳元で 「実はこの人たちは 高性能給仕型アンドロイドなのだ」 と謎の老紳士に 衝撃の事実を告げられたとしても、 さして驚かないであろう。 なんということを考えていたら 注文したコーヒーが出てきた。 すぐさま400円をクルーの手に渡し、 一瞬触れ合ったその手に 体温のあることを確認して、 やはりアンドロイドではなかったことに 少しほっとした。 ギャルっぽい2人組みの女子が バンズやポテトを おおらかに広げている横の、 通りに面した窓際の カウンター席が空いていたので、 なんの遠慮もなくそこに腰掛ける。 ギャル組は私が席に着くなり 少しトレーを居心地悪そうに 横にスライドさせた。 特に座席の選別に気を使わない私に、 少し違和感を覚えたのであろう。 私はそうした僅かな拒絶を、 全く深みも感じない コーヒーと共に飲み込んだ。 この特等席から観る ホコ天の人波は実に楽しい。 急ぐことなく緩やかに流れていく 人、人、人。 特に面白いのが、 明らかに個々人の目的が バラバラである点だ。 子供を肩車して家族サービスする父親、 推し活中の女子高生、 校内の噂話を肴に休日を楽しむ大学生、 どこを目的としているのか 全く想像ができない空手の外国人。 一人一人の人生をまばらに妄想し、 そこに勝手にペンを入れて妄想に浸る。 この時を至福というのかもしれない。 私にとって幸せな時間というのは 一定ではない上に、 それが資本や世間体にも 結びついていないのだから、 やはり私は変わり者なのだろう。 例え待ち人が来なかったとして、 この人間水槽の前で回遊魚を眺め 石像のごとく椅子と同化して 満更でもない自分の様子が 容易に想像出来る。 おそらく暮六つ、 酉の刻近くまではこうしていられるだろう。 その間に短編小説でも 描きおおせるだろうか。 否、流石にスマホは ネタ帳に最適だとしても、 私のような物書き気取りが小説を書くのに フリック入力で済ませるのは さすがに無粋である。 それくらいの矜持は私にもあるのである。 ごっこ遊びでも文豪ぶるからには、 やはり腰を据えて机に向かわねば 気分も乗るまい。 ただの書痴が文豪を 気取りたければ尚のこと、 執筆の姿勢に拘るべきなのである。 こういう文豪然とした体勢に 潔く従順たれという自分に、 もう既にどこか気取ったところを感じる。 結局、私にも俗なところがある。 真の変わり者に憧れても、 仙人のように霞を喰って 生きる領分には程遠い。 いわんや、仙人が霞を喰という行為も、 大衆の幻想を守るために 無理をしているんじゃあないかと 空想してしまう。 結局、仙人も俗物である。 俗物は俗物なりに俗世を 俗な店の窓から俗な目線で 眺めているのが一番ちょうど良い。 待ち合わせに余った時間が 私のような俗人間には心地よいのだから。 こうして毎回、私のコーヒーの減りは 人通りに反比例して少ない。 口蓋に思い出したように 苦味が広がるのを感じて、 ふと私は喫茶店の店内に 余計人が少なくなっているのを振り返り、 少し心配した。 待ち人はまだ来ない。 それも余計に多少の心配を寄こしたが、 まだ外を眺めていられることの方が、 少しだけ勝っていた。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁 ※11:00〜受付になりました※ブログ一覧
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