薄暮の陥穽 【中】
そんな私が友人に薦められて
「SAW」を観る羽目になった。
しかして、私は久方ぶりのホラー鑑賞に
実は密かに胸躍らせていた。
先述した通り「一作目だけは」
面白く観れるはずなのである。
私は座を正して画面に向かった。
そして、全く「SAW」第一作目には
感嘆してしまった。
予想していたスプラッターなシーンは
一切画面から排除し
鑑賞者の精神面のみを標的にして刺激を
切迫を与え
人の生に根源的にある恐怖を想起させる。
低予算で作られた
限定的な箱庭の空間美術には
思わず溜息をもらして
しまいそうなほどの美しさを感じた。
主人公二人の生愛への執着から
生まれる友情には心が震えた。
それをいとも簡単に投げ捨てて
最初から用意していた絶望を以て
鑑賞者ごと嘲笑い
絶望の淵に叩き込んでしまうような
「It's GAME OVER!」
という無慈悲な一言。
それと共に
現世と幽世を隔てるに相応しい程の
重々しい存在感を放つ扉が
鈍い音を立てて左右からあわさり
舞台は永遠の闇に閉ざされる。
迫力のある締め括りだ。
物語が終わり
エンドロールが流れ始めても
絶え間なく聞こえ続ける
主人公の悲痛な嘆きの叫びが
二度と開かぬ物語に
最期まで追い打ちをかける。
この辺りまで全く
後味の悪さに抜かりがない。
最初のシーンで
手の届かない物を取ろうとする時に
「Tシャツとかも使えば届くでしょうが!」
というツッコミを
入れたくなったこと以外に関しては
完璧なホラーサスペンス映画であった。
私が殊に「SAW」第一作に感銘を受けて
しばらく物語を咀嚼して
呆然としていたのを見て取った友人は
この機逃すべからず
というように気焔をあげて
鼻息荒く続編の視聴を促してきた。
そこで私は我に返った。
いけない。一作目より先は、いけない。
引き返せなくなる。
「この前だって、JOKERを観たじゃないか!
同じ轍を踏むつもりか?」
私の中のリトルDJ松永が
胸倉を掴んで説得してきた。
彼はもう童貞ではなかった。
もう松永はホラー映画の中では
生きてはいけないだろうと思った。
両手で回していた皿を
両手に花に変えた松永は
未だ何かと葛藤しているかのように
顔を顰めて小さくなっていった。
その時、友人の携帯が鳴った。
仕事の電話らしい。
それにつられるかのように
私の携帯も鳴った。
私の電話は私用のものであったが
友人の電話の妨げになっては
詮無いことと思い
そっと友人の部屋を出た。
廊下で話すのも迷惑だろうと思い
念のため非常口から外階段まで出た。
それからやっと私は
携帯の受電のボタンを押した。
電話を耳にあてた私の後ろで
非常口の分厚く重たい扉が
ガチャリと閉まる音が聞こえた。
その響きに「It's GAME OVER!」
の声が心中で重なった。
…電話を終えて気が付いた。
この友人のマンションは
オートロックなのだ。
友人の部屋を
ピンポンして戻らねばならない。
まだ私が電話を終えてから
10分程度しか経っていないが
友人の電話の方は片付いただろうか?
「電話途中でインターホンを鳴らすのも
迷惑になっちゃうから
外で友人からの連絡を待つしかないかぁ。」
迷惑だから帰ってしまおうと思っても
財布は友人宅へ置いたまま
出てきてしまったのだ。
そのうちに、肌寒さを感じてきて
とりあえずマンションの廊下へ
戻ることにした。
…開かない。
非常口のドアが、開かない。
なんということであろう
このマンションは
階段の方の扉までオートロックなのだ。
途端に全身に寒気がした。
悪寒。
全身の神経が晒し者にされたように
鋭敏になった気がした。
そこへ、実際の寒風が、肌を切って
剥き出しの神経を嬲って
怖気を煽りながら次々と
通り過ぎては宵闇に消えていく。
私は走り回った。
半端な気持ちで出たものだから
財布を持ってでないどころか
私の恰好は薄手のワンピース一枚だ。
こんな薄布一枚では
例え今が日盛りにあっても心許ない。
刻一刻と撫でつけてくる寒風に
私は心も体も
芯から冷えていくような気がした。
耐えかねて、階段を上った。
友人の部屋は5階。
このマンションは9階建てである。
6階、7階、8、9階。
それから下っては4階、3階…
全ての階の非常口扉のノブを
捻って押して回った。
どこかひとつくらい
故障して開いてはいないか?
私は下手な空き巣の気持ちになりながら
懇願して右往左往していた。
ひとつも、開かぬ。
なんなら塀に囲まれて
外からの侵入を困難にしている
1階の非常扉ですら、開かなかった。
お見事なセキュリティである。
これならば、もし塀を乗り越えて
侵入しようとする不届き者があったとしても
埒が明かず撤退するであろう。
私のような下手な空き巣には
このマンションは手強過ぎる。
友人が、夜中にシャワーを浴びただけで
壁ドンされる木造アパートに住む
貧書生であればよかったのに。
私はこの時ほど我が友人の
素寒貧なることを願ったことはなかった。
🍎アカリ🍎
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