-
次の記事
-
Blog@arabianそんなの、可哀想じゃないか──たった一度噛んだ台詞が なぜかずっと胸のどこかで生きている。 どうしてあんなことになったのか いまだに自分でもよく分からない。 そもそも、わが小学校には妙な伝統があって 劇の配役というものを たとえ一言しか喋らぬ脇役であっても 必ず壇上でオーディションさせるという 謎めいた儀式があったのである。 いや、これはもう 照れ屋には地獄でしかなかった。 私はその日 すでに心を半分ほどあきらめていた。 選んだ役は「飼育員D」。 台詞はたった一言 「そんなの可哀想じゃないか!」 それだけである。 しかも、私ひとりしか希望者がいなかった。 にもかかわらず なぜか「はい、じゃあ壇上へどうぞ〜」 と笑顔で言う先生。 八十人分の視線を浴びながら 体育館のステージへ向かう私の背中が きっと世界一薄くなっていた。 あの感覚は忘れられない。 全身の細胞が心臓になったようで どこをどうしても「どくどく」言っている。 顔も手も、まるで誰かのものみたいに 言うことを聞かない。 脚だけがやたら真面目に 舞台の中央まで運んでくれる。 ええい、ままよ!と息を吸って──。 「そんにゃふ…… そんなの可哀想じゃないか!」 噛んだ。 きれいに、はっきりと、噛んだ。 自分でも驚くほど、噛んだ。 ああ、あれほど練習したのに 風呂でも台所でも こっそりつぶやいていたのに それでも噛むときは噛むのだ。 これが人生というものである。 ステージを降りると、友達が 「まあまあ、味があって良かったよ」 と笑った。 味。味とは何か。 それは慰めか、それとも隠喩か。 などと考えたが、まあいい。 笑われるうちは、まだ大丈夫だ。 配役発表の日、案の定 私は「飼育員D」に決まった。 他に候補もなく、私の座は守られた。 誰にも奪われない 安心と孤独の椅子である。 その後の本番では、台詞を噛むことなく きちんと「そんなの可哀想じゃないか!」 と言いきった。拍手もあった。 よかったじゃないか と自分に言い聞かせた。 失敗したことより、やり直せたことの方が ずっと、なんというか、救いになるものだ。 たった一言で終わる役だったけれど それでも私はちゃんと舞台に立った。 怯えて、震えて、噛んで それでも一歩は踏み出したのだ。 いま思えば、それはちょっとした 冒険だったのかもしれない。 そう、飼育員Dとしての 私なりの名誉と苦悩であった。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
-
-
前の記事
-
Blog@arabian図書館に貸し切りはない――プレゼントを渡した後のひと口は なんだか特別な咀嚼だった気がする。 マクドナルドである。 いや、ただのマックではない。 貸し切りのマックだ。 しかも理由が バースデーパーティだというのだから これはもう 戦争に弁当を持っていった ようなものだった。 主役は、私の友人である。 お嬢様然とした風貌の いや実際お嬢様なのだが とにかく私とは別世界の生き物だった。 笑顔に角度があり、姿勢に芯があり 靴が高そうで、服が高く 声が通り、返事が早い。 あれほど絵に描いたように 「堂々」とした人間を、私は他に知らない。 そんな彼女が マックをまるごと貸し切ったのだ。 ドナルドの人形すらちょっと よそいきの顔をしていた気がする。 壁に「HAPPY BIRTHDAY!」の装飾。 紙の王冠。BGM。全部そろっていた。 まるで夢の国である。 私の家では、誕生日といえば家族だけ。 母がケーキを切って 父が「おめでとう」と一言。 それが全てだった。 だから私は この華やかすぎるマックを前にして 完全に「モブ」として すみっこにモジモジしていた。 すみっこの椅子にちょこんと座って マックの紙ナプキンを 折りたたんだりしていた。 図書館では主役になれるけど マックの貸し切りでは 私はただの見物人だ。 でも、嫌ではなかった。 どこか、ほんの少しだけ 憧れながらも安心して見ていられる そういう光景だった。 彼女は、中央にどっしりと鎮座し プレゼントを受け取るたびに 満面の笑みを見せていた。 その笑顔が まるで生まれながらにして舞台女優のようで 私は小声で「すごい…」と呟いていた。 図書館に入り浸って 本を開いてばかりいた自分からすれば 彼女は人間ではなく たとえば物語の中にしか存在しない 「ヒロイン」のようだった。 そんな私にも プレゼントの順番が回ってきた。 えっ。と思った。 みんなカラフルな袋を抱えている。 私は、地元の文房具屋で買った 小さなノートと ちょっといいシャープペンを むき出しのまま持ってきていた。 包装すらしていない。 まるで、お年玉の渡し忘れを思い出して あわてて封筒から札を出した おばさんのような心境で 私は「はい」と言った。 彼女は、それを見て、何の疑問も抱かず まるで宝石でも受け取ったかのように、 満面の笑みで「ありがとう」と言った。 嘘じゃなく、本当に、嬉しそうだった。 その瞬間、私は思ったのだ。 ああ、こういう女になりたい、と。 物怖じせず、誰に対しても笑顔で 堂々としていて、けれど ちゃんと人の気持ちを受け取れる そういう人に。 無理かもしれないけど なれたらいいなと思った。 私はその気持ちを隠すように 目の前のポテトをひとつ もぐもぐと頬張った。 塩加減がちょうどよかった。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
-