恥の箱を拾いました 【下】
やはり大江戸線は
不思議のダンジョンなのかもしれない。
モンスターはいないけど
モンスターを飲んでる人なら
たくさんいるし。
幸せの猫もいたし。
そうだ、せっかく地上までの縁なのだから
こいつに名前をつけてやろう。
流石に「クロ」というのは安直だ。
少し地味で平凡だが
「ウェルキンゲトリクス」
と名付けることにした。
ガリアにて、カエサルと渡り合い
投降の際は自らの命を擲って
仲間を救ったという
現イベリア半島の英雄である。
ウェルキンゲトリクスを両腕に装備した私は
欠乏していた猫成分を
存分に胸の内の温もりから摂取した。
箱が猫になったっていいじゃない。
パンドラの壺もいつの間にか
箱になっちゃってたし。
そこからもう一段変化して
壺⇒箱⇒猫
ときただけのことだ。きっとそうだ。
次辺りはなんだろう。
そろそろ海洋生物かなぁ。タコとか。
パンドラのタコ。
悪口にしか聞こえないけど。
パンドラちゃんは何言われても
仕方がないくらいやらかしてるから
擁護できないよね。
信賞必罰ってやつ?
神様は依怙贔屓のない
お方でございますなぁ。
それにしてもウェルキンゲトリクスよ
いくらなんでも懐きすぎじゃないか?
ゴロゴロ言ってたと思ったら
もう寝入りそうだ。
こんなに他人の腕でリラックスしてしまう
ウェルキンゲトリクスが
少し心配になってきた。
ガリアの民も流石に
「こんな奴を大将にできるか!」
と言って纏まりそうにない。余程に私が飼い主に似ているのだろうか。
それとも何かの手違いで
私の毛穴からチュールの匂いが
分泌されているのだろうか
ともあれ
「悪い人に拾われなくて良かったねぇ。」
しかし、そう囁きながらも
傍目には猫を誘拐し
勝手に名前を付けている私は
八割方、悪い人と見做されることだろう。
良心に証明書なんてないから
もし
「悪意をもって
犯行に及ぼうとしましたよね?」
と追及され続けたら
三日目の朝くらいにはギブアップして
認めてしまいそうだ。
いや、嘘です。
見栄を張りました。
一日目の朝方には帰りたいです。
すぐに認めて謝り倒して
なんとか解放されようとします。
所詮、私も利害の人間であります。
意地を通せば窮屈だ
といいますが、その通り。
志を貫く高潔さは
何にも変えがたいけれども
正直を地位にも名声にも
金にも換金できなければ
皆、得な嘘の方を選びます。
正直者が馬鹿を見る世の中です。
こんなにみみっちく
弱さを強さに両替して生きてる癖に
純粋過ぎるウェルキンゲトリクスを
脆弱だと心配して慮る。
なんだか自分がひどく
無機物のように感ぜられてきました。
志を失った人間は歯車になる代わりに
ある程度の理不尽から解放されます。
志を押し通す人間は迫害され
その先には、往々にして死があります。
残る者は、その貫いた志、魂のみ。
じゃあ、私には何が残るんだろう?
歯車には魂さえない。
志なき私には、魂さえ残らず
ただ塵芥に帰るだけなんだろうか。
信賞必罰。
私の罪は、パンドラちゃんと同じくらい
重いのかもしれません。
すっかり悪人になった気分で周囲を警戒し
改札に通りかかった時には
もはやお縄を頂戴する覚悟でした。
もう既に遠方から明らかに訝し気な眼差しで
私を射抜いてくる駅員二名。
その制服姿に
ありもしない桜の代紋がチラついて、
の挙動を自然から切り離していく。
片手でウェルキンゲトリクスを支えながら
バッグの財布からパスモを取り出し
心なしか震えて見える手から
ピッっと電子音が鳴った。
もしここで残高不足の警報が鳴って
改札の扉が閉ざされていたら
私はウェルキンゲトリクスを支えきれず
その場で全てを白状してしまったでしょう
しかし、そんな話を
駅員が素直に信じてくれるはずがない。
駅から急に猫が出てきたなんて。
侵入させた自分たちのメンツにも関わる。
彼らはすぐさま私を悪人と断罪して
警察と連携をとり
私は駅員室から警察署
取調室から留置所まで
流れるように堕ちていったでしょう。
そして神を信じることを辞めた私は
サタンと契約し、浮世と身を分かつため
体中に蝶だの龍だの麒麟だの
ラガーだのの刺青を入れたい放題にして
ゲヘナの底に身を沈めたに違いありません。
幸いにもパスモの残高は充分にありました。
駅員も、訝し気な眼差しを向けるだけで
特に何のお咎めもなしに
私はこの最大の難所を
クリアすることに成功したのです。
今考えてみると
黒猫を籠に入れるでもなく両手に抱いて
シャツが毛だらけになっている女が
地下から這い上がって来たのを見たら
そりゃ普通の目線では見られないでしょう。
人間、窮すると、三尺引いて
物事を見ることすら忘れてしまうものです。
とはいえ、私はついに辿り着いた。
陽光が景色を包み込むように暖かく
私の周りに纏わりついている空気に
祝福を吹き込んでくれるように
淡い空色を当てて、肌に反射する光を
自然に返してくれているようだ。
黒猫を抱いた毛だらけの女は
相変わらず訝し気な眼を
通行人に向けられながらも
久方ぶりの自由を謳歌しているような
気持ちを思いっきり吸い込んで
人生を感じていた。
それから最寄りの交番へ行った。
これにて短い旅路のエンディングである。
さようなら、私の幸せの箱。
さようなら、ウェルキンゲトリクス。
ちゃんとガリアを平定するんだよ。
警官には、猫が迷ったので
保護しておいた、とだけ伝えた。
まさか大江戸線の最奥から
拾ってきたなどとは言えない。
本当のことを言えばゲヘナの底だ。
又はジュデッカかコキュートスだ。
いずれにせよドラゴンタトゥーは免れない。
別れ際のウェルキンゲトリクスが
体をバタつかせて
こちらを見ているのに耐えかねて
足早に交番を去った。
悲しみに背中を向け、振り向かないように。
心の中に、さよなら足跡残して。
ウェルキンゲトリクスを
両腕に抱いての歩行は
思った以上に鈍重だったらしく
時計は、予定の時刻より
半周分多く回っていた。
目の錯覚ではないかと
両目をこすって見返してみたが
現実は変わらなかった。
待ち合わせのカフェでカフェラテを
飲み切って貧乏ゆすりをしていた友人の顔は
第六天魔王に縊り殺される
直前の風船のようだった。
これはまずい。
なんとしてでも噴火を
食い止めねばならない。
私はその日一日
全力で友人の腰に巾着として巻き付き
太鼓と鞄を無理に抱えてでも持った。
みるからに外れの映画にも
苦心して付き合った。
しばらくすると、友人の顔は
ハコフグから太ったチンアナゴくらい
までには収まっていた。ホッとした。
同時にせっかくの休みを苦悶に費やして
奥歯が擦り減るような思いであった。
信賞必罰。仕方がない。
私はパンドラちゃんなのだから。
それでも今思い返せば
あの日一番嬉しかったことは
時間に遅れたことだった。
時計を確認したあの瞬間
確かに進んでいたあの長針を見て
あの不思議のダンジョンでの
ウェルキンゲトリクスとの時間が
幻でなかったことが
一瞬にして確信に変わった。
あの時
だいぶ浮足立って夢見心地だった私が
一気に現実に引き戻されて
その現実に夢を連れて
帰って来れた気がして。
それがきっと、一番、嬉しかった。
🍎アカリ🍎
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