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Blog@arabian触れてはならぬもの――逃げてゆく希望と、 追わずにはいられない孤独。 桜が、どうにも無遠慮に咲き誇っていた。 こちらの心の鬱屈など 知ったことかとでもいうように、 けたたましく春を謳っている。 何となく、 真正面から見ることが野暮に感じて、 私は桜からやや目を逸らしながら、 河川敷をヒタヒタと散歩して歩いた。 横を見やると、 カモメと鳩が、悠然と佇んでいる。 あたかもこの世に敵など 一羽もおらぬかのような傲慢さだ。 まったく、春という季節は、 生き物すらも図々しくするらしい。 青い帽子を被った保育児童たちが、 歓声を上げながら駆け回っていた。 そのあいだを、 私は冷静を装ったまま抜けてゆく。 極端な純粋に囲まれると、 私の不純が浮き彫りになりそうな 居心地の悪さが、どうしても出てくる。 保育士らしき女性が一人、 柔らかく尋常な態度で 子供らを見守っていた。 ふと、目が合いそうになった。 私はとっさに視線を逸らす。 人目というのは、面倒なもので、 純粋を束ねるこの女性も、 彷徨える魂を導く魔導士の如く思えた。 児童たちを前に己が幼少を懐かしみ、 若干、迷える子羊然としていた私は、 羊飼いの眼差し一刺しに、 全てを見透かされるような魔力を感じて、 瞬間、これを忌避した。 河川敷は、小春日和である。 春の陽は柔らかく、風は少しばかり生温い。 走ろうとは思わなかった。 ただ、歩く。 いつまでも、何処までも、ひたすらに歩く。 走るというのは、目的のある者の動作だ。 私にはそれが無い。 ただ、なんとなく、今日という一日を、 腐らせずに済ませるための行為。 それがこの散歩であった。 カモメに近づいた。 ずいぶん人に慣れているようで、 最初は動じなかった。 私は、それに乗じて、 指先でもって羽に触れてやろうと企んだ。 一歩、また一歩、距離を詰めた。 その一瞬、唐突に、飛び立たれた。 羽音が、やけに耳に残った。 嫌われた、と思った。 嫌われることには慣れている、 なんて言う人は嘘だ。 やはり、傷つく。 人間というのは、 予告のない拒絶にめっぽう弱い。 そういえば、私だってそうだ。 突然、知らぬ誰かに グッと距離を詰められたら、 ギョッとして逃げるだろう。 いや、逃げる準備すらできずに、 狼狽えるに決まっている。 それは本能で、動物も人間も同じなのだ。 自分がやられて嫌なことをした。 二度とすまい、と思っても、 人は何所かで誰かに迷惑を掛けねば、 生きていけないんだなぁ。みつを。 と呟いて、河川敷の端の端で、 しばし月並みな感慨に耽った。 そして、ある程度、 一人宇宙に満足した私は、 引き続き、カモメを追いかけ始めた。 ふと、外国人とすれ違った。 私はちょうど鳩を 追いかけている最中だったから、 彼は私のことを、 鳩を食べる民族の代表か 何かだと思ったかもしれない。 異国の地で、異国の常識が、 私をとんでもない怪物に変えてしまった。 だが、言い訳も釈明もしまい。 良い誤解も悪い誤解も、 両方あるのが人の性でありSagaだ。 川辺にて、 信じがたい光景が視界に滑り込んできた。 ビキニ姿の女。 上半身も下半身も、季節も場所も、 何もかも間違っているように思えたが、 彼女はあくまで堂々としていた。 だが、川は、川だけは、 許してくれなかった。 青とも緑とも黒とも茶ともつかぬ、 絵の具の捨て場所のような色をした その流れは、 まるで人間を拒絶するかのように 濁っていた。 私は、その女のそばを、 何事もなかったかのように通り過ぎた。 話しかけようとは思った。 触れてみようとも思った。 だが、怖かった。 鳩よりも、カモメよりも、 ずっと、怖かった。 その肌の白さが、 逆に私の黒さを際立たせるようで、 私は顔を背けて、 再び、カモメのあとを追いかけた。 ふれられぬものばかりを、私は追っている。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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Blog@arabian非常ベルが鳴るまえに――私は、ただ音だけを聞いていた。 帰りの電車のホームで、私は一人、 妙に長い影を引きずって歩いていた。 最寄り駅の、 その名前すら詩情を感じさせない、 あまりに凡庸な駅のホームを、 鞄を肩に食い込ませ、 やや猫背気味に歩いていたのだが、 どうも様子がおかしい。 先ほど私が降り立ったばかりの 電車が、発車しない。 ただ停まったまま、 何やら一つのドアに人々が群れて、 ざわめいている。 こういうとき、 私は大抵知らぬ顔をして通り過ぎるのだが、 その日は、どうも背中に熱い視線を感じて、 仕方なく、覗き込むように その人だかりに近づいてしまった。 すると、ホームと電車の間に、 婦人が、いや、もっと正確に言えば 「おば様」が、片脚を落とし、 まるでアリ地獄の獲物のように、 ずっぽりと、はまり込んでいた。 これは、もう、ただ事ではない。 おば様の身体が半ばホームに、 半ば電車に挟まれたまま、 あられもない姿でよじれ、 しかしその表情には、 どこか悟りきったような、 仏のような穏やかささえ漂っていた。 その鞄の中身が散乱しており、 今にも絡まり合って 昇天しそうな有線イヤホンが、 知恵の輪のように絡まり、 いや、あれはまさしく ピタゴラスイッチの様相を呈していた。 イヤホンの一本が、 車体の隙間に絡まって、外れぬ。 おば様の足とイヤホンとカバンと電車が、 ひとつの生命体のように 合体してしまったかのようである。 助けようとする人々は既に集まり、 男も女も、 あるいは会社員風の人々までもが、 手を差し伸べている。 「電車が発車しようとしているぞ!」 「止めろ、止めろ、電車止めろ!」 誰かが叫ぶ。 私は思った。 今こそ、私の出番ではないか。 助け起こす腕力など、私にはない。 だが、緊急停止ボタン、あれだ。 あれを押せばいい。英雄になれる。 社会に貢献したと、 誰かが心のなかで 拍手してくれるかもしれない。 私は走った。いや、走ったつもりだった。 ホームの柱をぐるりと回り、 目を皿にして、非常停止ボタンを探した。 だが、どこにも、ない。 普段見ようともしなかったツケが、 いま襲いかかってきた。 焦燥。汗。喉が乾く。 目の端に、 電車のドアが閉まりかけているのが見えた。 ああ、誰か、誰か、早く! その瞬間、私の視界を 軽やかに駆け抜けた人影があった。 小柄な男だった。 痩せていて、どこか身軽で、 現代の忍者のようだった。 彼は迷うことなく非常ベルのもとへ走り、 そして、躊躇なく、それを押した。 ベルの音が高らかに響いた刹那、 おば様の足が、引き上がった。 人々がどっと安堵の息をついた。 すぐに別の女性が、落ちた婦人に駆け寄り、 何やら優しく話しかけている。 駅員が駆けつけ、事態を収拾しはじめる。 私は、何もしていない。 何もできなかった。 ただ、見ていただけだ。 けれど、見ていただけの私は、 駅員に事の次第をつたえ、 妙に感謝されてしまった。 何だか間違っている気がした。 忍者の姿はとっくになかった。 彼は非常ベルを押したその足のまま、 風のように走り去り、 煙のように姿を消したのだ。 電車が再び動き出す頃、 私はひとり家路についた。 「慈愛のある日本」を、 ほんの少しだけ、誇らしく思った。 それと同時に、自分の無力と臆病と、 頭の中で考えてばかりいて、 行動の伴わぬ性分に、赤面した。 電車の音が、やけに大きく胸に響いていた。 私はポケットの中のイヤホンを、 ただ握りしめていた。 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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