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Blog@arabianそれにつけてもおやつは~あらすじ~ まさかのおぱんちゅ命名式続投 まさか前回で おぱんちゅの命名が終わらないなどと 誰が想像したであろう お釈迦様でも思うまいて よもやピピン如きに あんなに時間を割いてしまったこと 海よりも深く後悔したいところを 海抜の心配もあって ビタ一文反省してませんども さて続いておぱんちゅ第二の命名 鬼畜外道ピピンの実子にして 中世ヨーロッパの大英雄「カール」 ちなみにフランスでは シャルルマーニュと呼ばれます フランク王国の領土を 最大まで広げただけでなく 治世においても効率化を成功させた まさに カール・ザ・グレート!大帝万歳! その余りの優秀さと破竹の勢いを 煩悩の化身たる教皇が 放っておくわけもなく 「カール大帝! 私です!ローマ教皇レオ三世です!」 「タテガミもないくせに百獣の王とか 調子乗ってんな、首はねるぞ」 「ご無体な!それならば罰するべきは 我が名づけ親です!」 「一理ある! して何の用だこの名前負け珍獣」 「…いえ実はですねその昔この地は 西ローマ帝国と呼ばれてまして 帝国亡き後も、 皇帝の冠だけは我々教皇が代々 守りぬいてきたのでございます」 「へー、やるやんけ」 「そこで今回!カール大帝に どうかこの冠を被っていただきたく!」 「あ~そゆことね…良いね! ローマ帝国の権威も引き継いだら 我が国も益々盤石やき」 「やった!インスタのせてもいいですか!?」 「バズらせろよ」 カールの戴冠ッ…! カール大帝という稀代の名君のおかげで フランク王国も盤石かと思われましたが 結局、王国を維持できたのは カール大帝の息子の代まで バカ孫たちが孫同士で領土を奪い合い カール大帝の築いた大帝国は 三つに分かたれ 西フランク王国(後のフランス) 東フランク王国(後のドイツ) イタリア 俺たちのヨーロッパはこれからだッ…! 〜第三のおぱんちゅ開眼へ続く〜 アカリ 💘ご連絡はこちら💘ブログ一覧
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Blog@arabianはんまーつよい~前回のあらすじ~ 小さなおぱんちゅ命名失敗 さて前回、悩みに悩んで ついぞ名づけるに至らなかった 三体のおぱんちゅウサギ 色々悩んだ結果… ゲルマン民族で括ったろ! となりましてん 具体的には、今のロシア辺りから フン族に追い立てられて ヨーロッパに流れ込んできたうち 西ローマ帝国に流れ着いた フランク族ですねぃ この時の西ローマ帝国といったら 財政難と軍事力低下 政治混乱に外敵の侵攻で ほぼ滅んでましてん 東ローマことその後千年続いた ビザンツ帝国とはえらい違いです 困ったのはローマ教皇です ローマ滅んで皇帝もいなくなったもんで 後ろ盾がなくてアタフタしてたところに 現れたフランク族のクローヴィスさん 「ここなんか滅んでるっぽいし 居抜きで使ってもいいっすか?」 「え!?いや、いいですけど… かくいう私はキリスト教の教皇でして…」 「あ~ここキリスト教ってのが仕切ってんの? いいや、俺らよそ者やし 全員とりま改宗しま~す」 「マジで!?」 フランク王国メロヴィング朝爆誕ッ…! そんなフランク王国 いきなり滅亡の危機に晒される! かのムハンマドがイスラム教を発展させ 常勝不敗のイスラム勢力 ウマイヤ朝が攻めてきたのです しかしこれをクローヴィスの右腕 カール・マルテルが返り討ち 人呼んで「鉄槌のカール」ッ…! いや、単に「マルテル」直訳すると たまたま「鉄槌」に なっただけなんですけどね このカール・マルテルさんフランク王国 のナンバー2の役職である宮宰という 宮廷を取り仕切る大臣の位にあり ほぼ実権を握ってたんですよ そもそも王より領土も多く持ち 権力上回ってしまってたんですから 普通クーデター起こしそうなもんです しかし、カール・マルテルさんは義に厚く 最後まで王に仕えたという忠義者 ところが 息子はそうはいかなかったんですねぃ …ただのフランク王国史解説やんけ! 参考書か! ~次こそおぱんちゅ命名式へ続く~ アカリ 💘ご連絡はこちら💘ブログ一覧
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