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Blog@arabianサンタが来なくなった日 ③どもアカリどもです 体調崩してクリスマスのネタを こーんな年末まで 引っ張ることになろうとは げに人生とは年始から年末まで 油断がならぬものです さて前回、ドンジャラおねだりに対して 母から衝撃の一言を告げられたアカリ しかし、母も所詮、人の親であります ドンジャラを買ったくらいでサンタの存在を 幼きアカリから取り上げるなど いくらなんでもそんな残酷なことを するはずがありません ははァ、アカリは母に試されているのだな? 母は、アカリの中の 「え?でもこれ… ほんとに来なくなるやつ?」 という臆病な疑心に 付け込もうとしたのでしょうが そこはアカリの 楽観主義を甘く見過ぎ というものでしょう 「そんなわけあらへんがな~ なんだかんだ小っちゃいのとか来るって」 アカリの頭の中の首脳会議は 全会一致で可決しました 「これ!これが欲しいの! これ買って!」 子供特有のワンリピート押し出しで 母の言葉を寄り切ったアカリ 「…ホントにいいのね?」 母の会計時の最後通告のような 言葉を尻目に 目的のドンジャラを手に入れたアカリは 大きすぎるオモチャを抱えて ホクホク帰路についたのでした …サンタは、本当に来ませんでした しかも兄妹全員に…です そんな馬鹿な!あり得ない! 親というものは 口では厳しいことを言いながらも 最後の最後で最終的に結局 子供に甘いものではないのか? アカリの中の大人への根本定義が 完全に破壊されました しかも、まさかドンジャラをねだっただけで 兄妹に対してまで仕打ちを 波及させるという容赦のなさ …アカリは大人を舐めていました 己のみならず なんら関係のない我が兄や我が姉の 年に一回の聖ニコラウスからの 小粋なお恵みまで 無に帰してしまったこの罪 何をもって贖罪にあてればよいものか それ以来、本当に聖ニコラウスは 来なくなってしまいました アカリは愚かでした 心底世の中を舐めていました 後悔先に立たず、といいますが 無に帰したものは取り返しがつきません しかしかの偉大な哲人ソクラテスは言いました 無に帰るということは 熟睡した夜の様な穏やかなものである 思えば聖なる夜に 大人の足音に邪魔されることもなく あの日アカリは その年一番の熟睡といわんばかりに スヤスヤ眠っていました これこそが 聖ニコラウスからの最後の 小粋な贈り物だったのかもしれません 今年のクリスマスは 実家にドンジャラ送りつけてやりました! 🌙 アカリ 🕌 サンタが来なくなった日① サンタが来なくなった日② ご連絡&各種リンクはこちら♡ブログ一覧
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Blog@arabianサンタが来なくなった日 ①ごきげんよう、アカリです こないだハロウィンで トラックひっくり返ったと思ったら 今度はX'masを前にして 独り身がでんぐり返る季節 師走のスピードは ウサインボルトもかくやという所で X'masといえば アカリが思い出すのは サンタさんこと聖ニコラウスとの思ひ出 あれはまだアカリが物心ついてまもなく あんよが上手を通り過ぎ そろそろ逆立ち年越しそばに 挑戦するか否かを考え出す様な そんな非常におセンチなお年頃のお話… その頃のアカリといえば もはやサンタの正体については あれこれ脳内で各派閥が激論を交わし 最終的にアカリ元老院にて 「サンタ、あいつ身内の人間ちゃうん?」 説がソフィスト達の反論を 押し切って濃厚となり 「サンタはおかん」案が 賛成多数で可決されようとしていました X'masに夢を失いかけていたあの日 事件は、アカリ家総出でお買い物をした ショッピングモールでの出来事に端を発します アカリ家兄妹一同、一日中を費やした 大規模な買い物遠征により精根尽き果て 皆、野に朽ちて あとは戦場の躯と成り果てるだけか という心境にありました しかし、子供にとって 辛く険しい旅の果てに 起死回生の主役として突如現れる おもちゃ売り場という名のメシア 子供というものは現金なもの それだけで砂漠のオアシスに辿り着いた ラクダ乗り並みに生気を取り戻し 特に物心がついただけでまだまだ心は 立派におぼこであったアカリときたら まるで復活したイエスの奇跡を 目の当たりにした使途ペテロやパウロの如く 目をキラキラに輝かせ ありとあらゆる娯楽の 夢幻の可能性に心躍らせました そんな物欲の化身と化したアカリの前に 突如立ちはだかる遊戯の権化 1980年から今なお愛され続ける お化けファミリーゲーム 「ドラえもんのドンジャラ」 …果たしてアカリとサンタとドンジャラに どんな因縁が!? ~To be continued~ 🌙 アカリ 🕌 ご連絡&各種リンクはこちら♡ブログ一覧
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