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Blog@arabian正月狸①謹賀新年、改めて 明けましておめでとうございます ということで 何を持ってめでたいとするかは 各々方の個性に任するところですが 私などは新年を迎えるも早速 去年に郷愁の念を馳せ 更には炬燵の中で 今まで置き去りにしてきた 様々な過去のお正月へまで想いを遡り 令和においても マイケル・ジャクソンを偲ぶが如く ノスタルジック・ムーンウォーク 今年への助走というお題目で 前を向けども一旦 歩を後ろへ下げるところから始まります SNS等の普及により 年賀状のやり取りも段々と薄れ ともすれば新年の挨拶を LINEスタンプ一個で 済ますことも出来るほどに 時代が時短と利便性を求め 昨今の文化は比例して それに長けてきました 大量の手書き年賀葉書に忙殺されることは 大変な煩わしさを含んでいたものですが スマホの一文で新年を寿ぐことに 一抹の寂しさを感じる方もあるでしょう ともすれば情緒というものは 手間や煩わしさの中にこそ 生まれるものやもしれません 私も幼少の頃は 皆への年賀状に情緒の心付けとして 必ずドラえもんを描いていたものです 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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Blog@arabian蟹道⑥さしもの母上たちも私の奇行に面喰らい 部屋の外から 「何してんの!お行儀の悪い!」 「食べるなら 食卓に戻って食べなさい!」 家族総出で必死の説得が続きました しかしながら懸命の説得も虚しく 私が部屋から出た時には すっかり蟹の身はなくなっていました 後悔しているかと問われれば その実は真逆 真に清々しい気持ちでした 家族達に 「嗚呼、こいつには何を言ってもダメだ」 という諦観の眼差しを向けられることよりも 家族内限定ながらも 同調圧力に抵抗し 蟹を食べきった己が誇らしかった そう、私はあの時悟ったのです 笑いたい時に笑い、食べたい時に食べる それがルール以前に 人が人としてある本来の姿 何を恥じることがあろう 他人に謗られようと お天道様に憚ることは一切ない いつ蟹が食べられなくなるか わからない世の中だからこそ 笑って蟹を食べようじゃあありませんか 蟹食べる 食せば家族の 冷たい目 貪る姿ぞ 人の在るべき お後がよろしいようで はぁこりゃこりゃ 🍎アカリ🍎 ꫛꫀꪝ✧‧˚X 公式LINE ✉️arabi_akari_otoiawase@outlook.jp ご予約詳細は🈁ブログ一覧
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