人間を書いている
そんな太宰が私は好きだ。
人間失格』『斜陽』『ヴィヨンの妻』『パンドラの匣』……数え切れないくらい何度も読み返してきました。
世間では「暗い作家」というイメージを持たれることも多いですし、ここから太宰治愛を語りますが、安心してください、一切、病んでません(・∀・)ノ
昔から太宰の作品を読むと心が軽くなるんです。
「頑張れ」と励ましてくれるわけでもない。「大丈夫」と背中を押してくれるわけでもない。
「こんなふうに苦しむ人間もいていいんだ」と思わせてくれる。
太宰は、人間の弱さを責めません。
「そんなふうに感じてしまうこともあるよね」と、静かに寄り添ってくれる、だから私は何度も読み返してしまう。
人と接する仕事をしていると、本当にいろいろな人に出会います。
理解してくれる人もいれば、誤解されることもある。
でも、それも人間なんですよね。
だからこそ人間というものをここまで深く見つめ続けた太宰治の言葉に私は何度も救われてきました。
「人間には絶望という事はあり得ない。」
『パンドラの匣』の一節です。
昔は意味がよく分かりませんでしたが、大人になって酸いも甘いも経験した今ならこの言葉が少し分かる。
「人間は不幸のどん底につき落され、いったんは投げ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。」
この一文が本当に好き。
この本の中で一番、太宰治の本心が表れている気がするから。
どれだけ苦しい時でも人は完全に希望を捨てることはできない。
もがきながらでも、手探りでも、小さな希望を探してしまう。
そんな人間の姿を、太宰はちゃんと信じていたんじゃないかな。
本って不思議ですよね。
同じ作品でも、年齢や経験によって心に残る言葉が変わる。
昔は読み飛ばしていた一文が、何年も経ってから胸に刺さることもある。
だから私は何度でも太宰を読み返したくなる。
『パンドラの匣』と言う小説は、青春小説であり、恋愛小説です。
それなのに読み終わる頃には人間について考えさせられている。
太宰治は小説を書いていたというより、まるで「人間」を書いていた人なんじゃないかな?
そんなことまで読書側に考えさせてくれる、
罪な男だよ、太宰は。
恋愛を書いても、人間。友情を書いても、人間。絶望を書いても、人間。
結局いつも、人間そのものを見つめている。
そんな太宰が私は好きだ。
すみません、稜彩ワールド全開に書きすぎました( ̄▽ ̄;)
昔は本を一冊読み終わるたびに、ノートにこんな読書感想文のようなものを気が済むまでダラダラ書いていました。
私のお客様の中には読書好きの方(主に後期高齢者)も何人かいるので、たまには本の話もいいかなと思いまして📚
ただ本の話を書くと、「この本も読んでほしい」と、おすすめの本をプレゼントしてくださる方が現れます。
お気持ちはとても嬉しいのですが、SF、アニメの小説版などの挿絵があるような一切読まない本をいただいても正直読みません(´;ω;`)
本は私にとって、
息抜きであり、現実逃避であり、心の拠り所。
ときには寺子屋のように、知らなかったことを教えてくれる学びの場所。
だからこそ、読む本くらいは自分で選びたい🥹
人間の弱さを愛した太宰について散々語ったあとで大変申し訳ありませんが、興味のない本を読むほど、私は人間ができていません(・∀・)ノ
太宰先生。
こんな人間もいていいですよね?